Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 9/27(木)の気持ち

あんなにも暑くて暑くて暑かった夏はもうすっかり成りを潜め、ここ最近は雨が多いしやたらと涼しい日が続いている。

自分がかなり気候や天気に影響されやすい人間だという自覚はとてもある。週明け頃には風邪を引きそうになった。微妙な体調に気付いた瞬間に風邪薬を飲んだら持ち直したが、また微妙な体調になり始めている。ルーチンのような日々を過ごしているのであまり風邪を引かない(引いていたとしても気付かない)僕も、さすがに季節の変わり目には弱い。知り合いや応援してるひとたちも続々と体調を崩しているように見受けられるので、体調管理くらいには気を遣いたいと思った。

季節の変わり目は体調に大きく影響を及ぼすが、精神にも同じくらいの負荷を掛けていることにも自覚的になるようにはしている。

気圧が下がると精神状態も危うくなる傾向にある。頭痛に悩まされる、までいくと頭痛のことだけしか気にならないのでむしろ自分を御しやすい。問題は「あー今日何もやる気無いなぁ」くらいのテンションだ。いや、この辺はまだ自分の精神状態について自覚的な範囲か。なんとも表現しにくいが、「何をやっても空回るときのテンション」というのがある。酔っ払いが「俺は酔ってない」と頻りに言うような、なんだろう、「僕の精神状態はまだ大丈夫」と表面上なり表面下なりで思っているような状態だ。こういうときは大抵天気が悪かったり、前日との気温差がすごかったりする。「僕はまだ大丈夫だから、意欲的になるための行動ができる」と思って、やたらと、普段はあまりしない他人に対してのアクションを取ったりし始める。こういう精神状態のときはヤバイ。まず、自分の精神状態が普段と違うことに自覚的ではない。アクションを取ることで浮上できると思うのは良いのだが、その不安定な精神状態(必ずしもテンションが低いというわけでもない)が引き起こすアクションはその誰かに対しての配慮がすっぱり抜け落ちていることも多い。それが功を奏したというような記憶は当然あまり無い。

自分の性格が失敗体験を殊更重視している傾向には気付いている。それが何かしら良かった結果をもたらしたこともあるのかもしれないが、そういう記憶はまったく印象に残っていない。だから自分のこの傾向が兎角悪いものだという印象ばかりが募っている。

まぁ、自分のテンションちょっとヤベェなという時があったとして、それが個人的な内的外的問わない要因だったりしない場合、前述したような天気に影響されたり温度差に影響されてるなとその時なり後から気付いた時、大抵普通に他のひとも天気や温度差や気圧に影響されて滅入っている場合が多いだろうし、単純に事故が起こりやすい状況になっているのはそうだろうなと思っているので、やっぱりそういうときは大人しくしているのが一番っぽい。

別に何かしら直近であったわけではないが、そういう状況になりやすい条件がめちゃくちゃ揃っているここ数日なので、そういうことが起こらないように自分を律していきたいなという願いも込めてここに記しておく。

でも、最近ちょっと自分の中の他者への攻撃性というか、そういうのがやたらと強まっている気がしている。

僕は元来そういう攻撃性を糧にして創作をしてきたタイプの人間だ。だからこれは単純に良い悪いという基準で判断出来ない。創作する機運が高まってきているとも取れる。だが、他者への攻撃性を剥き出しにした人間が、普通に誰かとコミュニケートする場に出ていったり、おそとにほいほい出て行くのは普通にとても危険だ。そりゃそうだ。僕ならそういう奴がいるような場所には行かない。ミュートなり何なりの機能がある場所ならそれを使ってそいつを視界に入らないようにする。

というようなことを最近ちょくちょく考えていた。

なんだろう、僕は自分が面倒だなと思った事柄からとにかく逃避する傾向にある。そりゃ普通に暮らしていれば色々なひとたちと関わり合う機会は沢山あるが、そのほとんどの繋がりを逃避することで潰してきた自覚はとてもある。新しいことにチャレンジするのも億劫だ。僕みたいな人間が、という枕詞が、別にくちに出して言ったりはしないが、自分の中で何かをやらない、諦めるときの口癖になっている自覚もある。少し思考をネガティブに進め過ぎた。

まぁ、だからこれも一つの逃避なんだろうことはよくよく理解している。

しばらく、何かを吐き出したり思ったことを書きたいなと思ったときはここをメインに使うことにする。誰も見ていないわけではないが、殆ど人目に付かない場所というのはとても都合が良い。例えば文房具店でノートを買ってきてそこに書き殴るなり、プレーンテキストを開いてそこに書き殴る、というのは、こう説明が難しいのだけど、僕の中では「違う」気がしている。

誰かに見られる可能性がある場所に「公開する」という手続きを、殺しきれない承認欲求の漏洩が踏ませたがっているのだろうか。まぁ、単純に誰かに見られない文章なんて書く気がしないというのはもっともっぽい理由のような気はしている。それが結果的にお蔵入りさせた書きかけの小説と違うところは、その小説はそもそも誰かに読ませるために書いたものだから、というような例を持ち出したらそれっぽい気もする(それっぽくは無い)。別に承認欲求が特別悪いものだとは思わないけど、大勢に「俺を承認しろ」って言ってまわる姿はちょっとみっともないって思ってしまうよね。頑張っていれば必然的に周りが承認してくれる、という姿勢も大概みっともないとは思うけど。成果物と宣伝行為の天秤関係、みたいなことをぼんやり考えながら、今日のところは筆を置くことにする。

書きたい書きたい言ってる小説もまぁアイデアが降ってこないし、この姿勢がそもそも良くないってことはわかっていても、自分から要素を当て嵌めていく土台の作り方に慣れていないし、まぁそれも一つのチャレンジなんだろうけどな。逃避していてばかりではダメなんだ、本当に。

この半年間バーチャルユーチューバーを追い続けたことと今、そして今

この半年間バーチャルユーチューバーを追い続けたことと今について - Yellow Green Mechanical

昨朝にこういった記事を書いた。

 


【バイノーラル雑談】エリがお泊りしにきたよ!【周防パトラ / ハニスト】

まずはこれを聞いてほしい。話はそれからなんだが。

1時間40分ある?そんなことは些末な問題だ。この1時間40分はおおよそ5分の体感時間によって急激に過ぎていくので安心してほしい。安心しろ。

 

実はリアルタイムで配信を聞けたのは後半からだったのだが(今、これを書きながらアーカイブの2周目、つまり前半は2周目、後半は3周目を聞いている)ちょっとハニストというグループについての見解が大いに変わり始めていて、「俺は蒼月エリさんを強く推していく」みたいなことをあれこれ書いた覚えがあるが、ちょっとわからなくなり始めてるのが今、そして今。

蒼月エリさんが素晴らしいのは改めて書くことではないが(改めて書きました)、貴重なオフラインお泊まりコラボにて縦横無尽に活躍する周防パトラさんがあまりにも素晴らしすぎて、僕は先日の記事に綺麗にオチを付けることに決めた。

ハニストは良いぞ。

 

…………。

 

まぁ、小説以外の何事もほどほどにしていきたいと思う。

皆さんも頑張っていきましょう。

先生からは以上です。1時限目の英語の授業を始めます。それでは出席を取りまーす!

この半年間バーチャルユーチューバーを追い続けたことと今について

バーチャルYouTuberとは 

主にYouTube上で動画等の配信活動を行う架空のキャラクター群を指すのに用いられる呼称である。「VTuber」などと表記されることもある。また、そのほかのライブ配信サービスを利用する場合などにYouTubeという特定のサービス名を使用することを避けるため「バーチャルライバー」などと呼称することもある。

バーチャルYouTuberとは (バーチャルユーチューバーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

バーチャルユーチューバーとは、端的に言えばこういう存在らしい。

一応の補足としてニコニコ大百科より引用させてもらった。これを読むひとがこの概念について明るいか暗いかは定かではないが、とにかく、ある程度の前提共有として説明しておくに越したことは無いだろう、というような気持ちから引用させてもらった。別にバーチャルユーチューバーを知らないひとはこんな記事には辿り着きはしないだろうし、辿り着くようなひとは知っているひとに限るような気もするのだが、まぁ一応だ。

 

ともあれ、今回こういった記事を書こうと思った経緯の一つとして、この半年間(記憶している限り、僕は2018年3月くらいからバーチャルユーチューバーを追い始めたはずだ)毎日欠かさず誰かしらの配信なり動画なりアーカイブなりを観ていた僕の生活が、ここ最近になって徐々に変化していることが理由の一つに挙げられる。

端的に言えば、僕はバーチャルユーチューバーの配信を、劇的に観なくなった。

僕はつよつよリスナーでは無いので滅多なことが無い限りは2窓3窓を駆使して複数の配信を同時に観るということは無い。集中力が散漫な人間であることには自覚的だが、複数人が同時に喋る内容を頭で拾うことが出来ない。リスナーの中には10窓以上を開いて同時に配信を追う聖徳太子のような方々もいるようだが、僕は「観たという実感」が欲しいわけではないので、基本的には追っているひとが同日同時間帯に配信を被らせている場合には取捨選択を行うことにしていた。低スペックな脳を持っている者の泣く泣くの取捨選択だ。まぁ、例えばゆるい雑談配信とおうた配信が同時に行われているときには2窓をしたりもした。状況に応じて、というやつだ。話が盛大に逸れたね。

 

さて、では半年もそこそこ熱心にバーチャルユーチューバーを観ていた人間が、ほぼ日課となっていたその行為をやめるとなるとどんな理由が挙げられるだろうか。

飽きたんじゃない?と、これを読む貴方は思うかもしれない。

断じて言えるが、僕はバーチャルユーチューバーの配信なり動画なりアーカイブなりを観ることに飽きてはいない。面白い配信を行うライバーは日々生まれている。特に最近ではパイの奪い合いとでも言おうか、数字を持っている先人たちに追い付くなり追い越すなりするためにはただだらだら雑談をしたりゲームをしたりおじさんが美少女になったりするだけでは力不足に思える。企画力と一言で表すと漠然としているが、ともあれ尖った一芸を持っていないと数字は取れないような印象だ。僕が知らない(知ってはいるが配信は観たことが無い)バーチャルユーチューバー(書くのが面倒になってきたので以下『Vの者』とする)は沢山いるだろうし、こうしている間にも沢山生まれているだろう。僕は以前ほどはその気持ちが薄れてきたとはいえ、そういった者たちを掘り出したいし、追いたいという気持ちは今もある。――時間が無限にあればの話だ。

誰が決めたのかは定かでは無いが、基本的にVの者たちは1時間単位で配信を行う。30分の枠もあれば5時間8時間12時間と長時間配信をする者もいるが、1時間がオーソドックスな1枠だ。ライバー側もリスナー側にも負担があまり大きくないこの時間だが、休日を丸々使ったところで配信とアーカイブの消化は16枠~20枠くらいが限度だろう。配信時間が伸びることはあっても50分などのキリが悪い時間で終わることはあまり無い傾向にある気もするので、10枠くらいが限度に感じる。僕は今現在チャンネル登録を63人しているようなので、仮に登録している全ての彼ら彼女らが同じ日に配信を1時間ずつ行ったなら、それを全て観終えるには1週間くらい掛かる計算になる。残念ながら1日は24時間しか無く、その3分の1程度は睡眠時間に充てられるのだ……。そういった計算を始めると、チャンネル登録をした者たちの中でも、配信時間が被っておらずとも取捨選択をしなければならなくなる。その配信を観て気に入ったはずの彼らの中で、順位付けをしなければならなくなるのだ。で、Vの者は夏を越えた今でも増え続けているようだ。今後この業界が、彼らがどうなっていくのかは神のみぞ知るところだが、この状況が1年後も続いていたとして、低スペックな身体を持つ僕の生活は破綻が目に見えた状況にいることは少し考えれば容易に想像が出来る事柄だった。

まぁ、僕は僕の生活を死守するためにVの者を熱心に追わなくなったわけではない。それはまことに重要なことだが、それが理由として挙がってはこない。

 

結果的に言えば、これはあまり正当性のある状況ではない。

とあるVの者の配信を観た結果、それ以外のVの者の配信をほぼほぼ観ないことに決めたのだ。

 


【自己紹介】はじめまして!蒼月エリです!【 ハニスト】

 

さて、リンクを貼ったからにはその説明をしなければならない。

 「Honey Strap -ハニーストラップ-」
日本(北区赤羽)のどこかにある、美味しいお酒はもちろんのこと、コーヒーまでも楽しめる「夜の喫茶店
そこには妖麗な個性豊かな美女たちがゲームや雑談しながら働いている。

引用元を記載するにあたって、数々のニュースサイトがこの説明文を載せているのに肝心のハニスト自体の公式サイト的なものが見付からなかったので(探し方が悪いのかもしれない)この引用元は特に記載しないことにする。

重要なことなので書いておくが、僕はハニスト箱推し勢ではない。

基本的にはこの方、蒼月エリさん(蒼月エリさんのことはエリ様と呼ぶのが一般的なように感じるが、僕はどうしても蒼月エリさんとフルネームにさん付けで呼んでしまうのでご了承願いたい)のみを追っている。知った時期も時期だったので(非常に心苦しい気持ちだが、活動初期から応援出来ていたわけでもない)メンバー内コラボなどもあまり積極的には観ていない。蒼月エリさんの配信とアーカイブのみを観ている。基本的にはそういうスタンスです。

僕が初めてちゃんと動画を観たVの者は輝夜月ちゃんだった。次は猫宮ひなたちゃん。そこから俗に呼ばれる四天王は経ずに月ノ美兎さんに辿り着き、物述有栖さんに落ち着いた。僕は自分を誠実なファンやリスナーであるとはまったく思っていないので、ある種の節目を迎えるなり配信内容が落ち着いてきたあたりで熱心にその配信を追うのをやめてしまう傾向にあると自覚している。それを一番自覚したのは剣持刀也さんの配信を追わなくなったときだ。詳しい経緯は書かないが、上記したようなことがキッカケで急激な気持ちの変化が訪れたことは強く記憶している。仮に今、上に書いたVの者の熱心なファンがこれを読んでいるのなら謝罪と、決して彼らに対して否定的な感情を持ち合わせているわけではないことは留意して頂きたいです。ごめんなさい。

にじさんじを含む企業勢を追いながら僅かながら個人勢にも手を広げつつ(結局こちらは名取さなちゃん、魔法少女ちあちゃんとめあださん、美少女化する前から知っていたukyoさんことまぐろなちゃんなど、個人勢の中でも有名な方々を登録するあたりで深く掘り進めることは出来なかった)、シロちゃんを経由していないのに.LIVEのめめめちゃんとピノ様に辿り着き、ときのそらちゃんを経由していないのにロボ子さんからホロライブにも辿り着き、ギル様と御曹司をチェックしながら(ギル様配信して)蒼月エリさんに辿り着いた。そうして僕は蒼月エリさんの配信を優先することに決めた。だいぶ要点だけに絞った半年だが、こんなものかと自分の浅さに驚いているのが今だが、その話はしないと思われるのでこの驚きは僕のこころの中に仕舞っておく。

 


【ガチ歌】卍ワイの本気見せたるわ卍【蒼月エリ / ハニスト】

 

履歴を掘ってみたら、僕が最初に観たアーカイブはこちらだったようだ。

元々、僕はニコニコ動画で、ある時期まで熱心にボカロ曲を聴いていたタイプの人間だった。当時は色々な意味でオタク界隈を騒がせていた歌い手にもあまり抵抗感は抱かず、しかし当時からやはり面倒くさいタイプのオタクだったのでミリオン再生を達成しているような歌い手は基本的には遠慮しつつ、なぜこのひとが評価されていないのか?というような、確かな技術や声質を持ちながら埋もれているような歌い手(客観的を装って書いてはみたがだいぶこのひとたちに失礼な書き方になっている気がする……)を応援しながら日々を暮らしていた。

というような僕なので、おうたを歌ってくれる、おうたが上手いVの者は蒼月エリさんに出会う以前から熱心に追っていた。

が、このアーカイブを観て、僕は驚愕した。

Vの者おうた配信は、立ちはだかる権利問題によって基本的にはアカペラで行われる。最近ではそれをクリアしたカラオケ音源を使用して行われる配信もあるが、それも限りある曲数の中から選ばなければならず、秒毎に飛んでくるリスナーからのリクエストに対応するのはなかなかに困難だ。

弾き語りである。

そう。Vの者には意外と楽器経験者が少ない。それも弾き語りに親和性の強いピアノやアコギなどを、それが行えるレベルで習得しているひとはごく一部のように思う。

蒼月エリさんはアコースティックギターを弾き、歌う。さながら路上ライブのような趣だ。そしてその歌声は力強く、時に儚い。語彙力消失オタク的な表現をするなら、エモい、だ。蒼月エリさんはその歌に合った歌い方をしてくれる。だが、違うアーカイブを観て貰えばわかる。前の配信で歌ったその歌を、今度は別の歌い方で歌ってくれる。この点は生配信の強みだろう。その時々の気分や、喉の調子、配信時間帯など。だから、今度はどんな風に歌ってくれるのだろうかという興味がそそられる。「またこの歌か」というようなネガティブな感情が挟まる余地は、蒼月エリさんのおうた配信には基本的には無い。

何より僕が惹かれたのは、蒼月エリさんのそのストイックさだ。

基本的に配信で歌う曲は、配信で歌えるレベルまで練習してからようやくお披露目とするようだ。歌詞を間違えてふにゃふにゃしてしまう蒼月エリさんもギャップ的には魅力的だが、うろ覚えな曲を歌われることはほぼほぼ無い。オフボーカルの音源を用いて歌われる曲でも、しっかりと自分の解釈というか、感情の込め方というか、そういったものをしっかり確認して高次元での再現が可能な状態で望んでいるだろうことは容易に窺える。

端的に言ってしまえば、蒼月エリさんは歌唱力が抜群に高い。

だが、おうたが上手いVの者は沢山いる。そういったVの者たちに対するアンテナは割と強く張っていたので、10人かそれ以上くらいパッと名前を挙げることも出来る。

だが、蒼月エリさんが彼ら彼女らと一線を画しているなと感じるのは、その表現力というか感情の込め方というか、なんだろう、本当にこのひとはこれが、歌うことが大好きで、そのことを一番に考えているんだなということが、そのために血の滲む努力をしてきたということが、素人目にもわかるところにあると思ったのだ(もちろん、他の方々がそれほどの努力をしてこなかった、とは思っていない)。

ので、おうたが上手いだけだったら「おうたが上手い」だけの評価になってしまうが、その人柄に惹かれたというのも要因として大きく占める。

おうたを歌うことに対してそれだけストイックなのに、陰の者と自称されているだけあって日々のエピソードの共感力がハンパ無い。コンビニでハッシュドポテトを買おうとしたら買えなかったエピソードは、申し訳ないことにとても笑ってしまったし、その落ち込みようから帰り道ではさぞ悲しい顔をされていたんだろうなと容易に想像できたので、やはり申し訳ないことにとてもほっこりした。同じ回でコンビニおにぎりを選ぶときの心持ちみたいなものもカワイイなと思った。自他共に認めるポンコツぶりがリスナーとの距離感の近さの一役を買っていて、それが応援したくなるんだよなぁ~とこれを書きながらうんうん頷いていた。頷いている場合じゃない。

臆さず方言で喋るところとかも良いですよね。方言女子、良い。

あと、こう、Vの者の生配信を追う基準で一番重要なのは、地味に配信時間とリスナー側の生活リズムとの一致だと思っていて、過去のアーカイブを観るにその点だけがネックだなぁと思っていたらたまに深夜ゲリラをやってくれたり、最近では朝の配信にも精力的な感じなので、この辺は本当に助かる気持ちだ。僕は超夜型人間なので、朝の配信が一番助かるのだ。これからの朝配信が本当に楽しみです。配信主体のライバーはやはり生配信を観れてこそ、というようなことはずっと思っていることなので。

さて、そんなこんなを書いている内にまた5000文字オーバーの記事になってしまった。前置きが長いし本当に書きたかったことが僅かしか書けていなくてこんなはずでは……というような気持ちもあるが、上に貼ったおうた配信を観て良いなと思ったなら是非是非一緒に応援しましょうという気持ちです。

 

僕はプレイヤーではなく、今現在はそれほど取り戻せてはいないが、一応はクリエイターという立場の人間であるという自覚は強く持っている。

これだけ強く紹介しておいて不義理なことにまだアーカイブの全ては観れてはいないのだが(一気に観てしまうのは強く自制している。コンテンツなりVの者なり、その過剰摂取による自分の中での鮮度の著しい消費をコントロールしたいと思っている)、蒼月エリさんのおうた配信のアーカイブを幾つか観て芽生えたこの創作意欲の再燃は、とても大事にしていきたいと思っている。

上記した立場の違いというものはあるが、蒼月エリさんのプレイヤーとしての信念に、クリエイターである僕の信念が触発された。

やりたいことを、やりたいようにやるために。

Vの者を追うことは楽しい。別にやめたいわけじゃない。でも、Vの者を追うだけの日々で創作をすることは難しい。それは決して言い訳にはならないが、本当に創作をしっかりやっていきたいのなら、どこかでその生活に区切りを付けなければならない。だらだらと先延ばししていた決断を下すキッカケになったのが、蒼月エリさんのアーカイブだった。新たに出会ったVの者によって、Vの者漬けだった生活に終止符を打つという、ある種皮肉的なエピソードのように思えるが、そうしていこうと僕は思ったのだ。

まぁ、別にVの者を追うことを完全にやめるわけではない。言い訳めいた感じにはなってしまうが、日々の疲れが、その時々に配信を行う好きなVの者を求めてしまう気持ちまでは自制しようとは思わない。僕は少し前からホロライブの方々の配信をよく観ていたのだが、生活リズムと波長の合うロボ子さんの配信はこれからも観ていくだろうとは思う。これも個人的には因果のある帰結なのだが、そのエピソードは省かせてもらう。

このブログは僕のやる気を出すための場所なので、今回もそのような記事を書くことになった。

蒼月エリさんに出会ったことで得たこのクリエイティビティを、少しずつ温めて燃やしていこうと思う。

 


【Cover】なんでもないや/RADWIMPS【蒼月エリ / ハニスト】

最後に先日アップされたこの動画を貼っておこうと思う。

蒼月エリさんはガチだ。

俺から言えることは以上だが、一応断っておくと僕はガチ恋とかそういう感情とは無縁な人間であると自認しているのでこの感情は断じてガチ恋などではなく、純粋に応援したいという気持ちが前面に出たものであることは明記しておきたい(ホントか?)。

僕はあまり僕という存在を認知されたいオタクではないので一度もコメントしたことの無い不義理なリスナーではあるが……。

まぁこのブログに辿り着かれるというあまりにも不測の事態になるようなことは無いだろうとは思うし、普通に公開するけど、でも認知されたくないオタクだったら限定公開とかにするべきなんですかね。教えて偉いひと。

思考するのが下手だと自覚する話

というのも、ここ最近ずっと15万字くらいの長編のネタを考えているのだが、それがなかなか上手くいかないので、その原因を探っていきたいという話だ。別に特定の誰かの思考形態を揶揄したりとか指摘したりとか、そういう意図の話ではないです。別に他人がどういう考え方しているとかそんな興味無いですからね。それが直接的に、僕に危害を加えるだとかストレス源になるだとかしない限りはね。

 

思考するのが下手クソだなぁという自覚は、割と昔から抱いている。

と、まぁ思考するのが下手クソと一言で言っても、色々な種類の形態があるんじゃないかとは思う。

パッと思い付くのは思考深度を深められない状態だろうか。例えば、じゃあこれを読んでいるあなたが誰かに勉強を教えていたとする。「ここはね、これこれこういうことなんだよ」と、まぁその誰かに教えてあげたとする。するとその誰かはこう言うワケだ。「え、わかんな~い」……まぁ、そういうこともあるだろう。わからないものはしょうがないので原因を探っていこう。「どこがわかんないの? この場所?」あなたは根気強くその誰かに向き合うが、その誰かは言うのだ。「え、わかんな~い」……うん。次にあなたが取る行動は一つ。テキストを投げ捨てて今すぐ自分の家に帰るはずだ。……まぁ、これは思考するのが下手とかそういう以前に思考する気がそもそも皆無だと言わざるを得ない状態のような気がするので、ちょっと話が違うかもしれない。どうだろう。まぁお世辞にも上手とは呼べない状態なので下手なのかもしれない。え、わかんな~い。まぁまぁブラウザバックを押すのを待ちたまえ。

他には、無意識に思考対象に苦手意識を持っていてシャットダウンしてしまう、とかだろうか。どうしても関わらなければならない苦手なひとが、どうしたら苦手じゃなくなるかを考えてるときとか、そもそもその相手に好印象を抱こうという気が無いので思考が妨げられたりとかするかもしれない。好き嫌いを無くそうと思って、見た目がグロい食べ物を克服しようとしたりするときとか、見た目がグロいから苦手なのにその食べ物のことを考えるのとか論外だよね。今これを書きながら海鞘のことを思い出していたが、あれは見た目も食感も味も全部ダメなので胃が気持ち悪くなってきた。思考が妨げられているのをとても感じる瞬間をセルフで引き起こせる便利な思考体験だった。

まぁそれはそれとして、僕は小説を書きたいので小説を書くための準備段階というか、その設定とかプロットとかを考えたいわけだ。能動的な行動であるはずなので「え、わかんな~い」とか言ってる場合じゃないし、苦手……まぁ僕はプロットや設定を立てるのに割と苦手意識を抱いているタイプの書き手なので、別に得意得意!とか思って考えてるわけではないが、別に小説は書きたいので論外であるはずもない。

 

思考が散漫なのである。

一つのことを集中して考えるのがとても苦手だ。苦手、というのも、過去のトラウマや嫌な出来事にヒモ付けされた事柄にぶつかるとその体験が、結構な頻度でフラッシュバックしてくるというバッドステータスを持っていることに最近気付いた。自己診断なのであまりアテにはならないが、PTSDだと診断されるほど酷いものではないはずなので(フラッシュバック後にそれほど引きずったりもしない)、そういう風に脳が作られてしまったんだと思う。僕は常々過去の自分を八つ裂きにしたいという考えを持っているので、過去の自分に対する嫌悪感みたいなものが強く作用していることがわかる。あと、イヤな他人のことをネチネチ考えてしまう。気付くとそちらに思考が誘導されていて、小説のことを考えていたはずが、自分にどんどんストレスを与える物事に嫌悪感を剥き出しにした思考が繰り広げられていたりもする。それも最近わかってきた。わかってきたからといって特別対処のしようが無いもののように思うが、たぶんオペラント条件付けを試してみるのが良いのだとは思う。そういうことを考え始めたら深呼吸するだとか、太ももを何度も叩くだとか。色々試したりはしているのだがイマイチ定着しないので、脳を作り替えるのは根気がいる作業なのだなぁといったことを実感する。

これは脳内で考えをまとめようとしている時に起こる現象だ。つくづく非効率的な思考形態だなぁとは思うが、本当に非効率的なので困っているという話だ。

あと、集中力にムラがあるといったこともわかってきた。

特に、考える対象がハッキリしている場合は、それほど集中出来ないということも無い。書こうとしている小説がもう少しで書ける段階になりそうなときとか、読んだり観たりした作品のどこが良いと感じてどこが気に入らないと感じた、だとか。まぁハッキリしたものなんだからちゃんと考えられないといよいよ本格的にポンコツだと思うので、これはまぁ良い。問題は現状のような、ふんわりとした要素だけが浮かんでいるような状態だ。これを形にしていくのがとても苦手だ。ある程度カタチにしてしまえばこちらのモノなのだが、そこに持っていくまでにとても難儀する。散漫な思考にムラのある集中力が全力で邪魔しに来るワケだ。

そこで何か良い方法は無いかと思って、重い腰を上げて紙面に書き記していくことにした。最近何か良いエディタは無いものかと思って色々探してみた結果、パソコンに最初から入っていたOneNoteなるアプリがとても良いのではと思ったので使ってみることにした。これは実際の紙のノートの上位互換のようなもので、白紙のページに書いたものを好きに配置できる優れものなアプリだ。実際のノートは実際とても便利なアイテムなのだが、難点は紙の大きさが決まっている点と、コピー&ペーストとカット&ペーストが自由に行えない点だ。あと手書きは致命的に遅い。そういった諸々をカバーできる優れもののアプリを導入してみた結果、自分でも驚くような事態に陥った。

別にそれほど自信があるというワケでもないが、僕はまぁタイピングは速い方だとは思う。ここで書くのを一旦やめてタイピング練習サイトで少し遊んでみたが、まぁ最高ランクが取れたりするレベルの速度だった(5分で変換無しで1100文字いかないくらいは書けるみたいだ)。

まぁ、タイピングが速いとは言っても物事には限度がある。たぶん速記には敵わない。ドラマとかで役者が喋ってる言葉をそのまま書き記すのは変換入れたらほぼほぼ無理なのではないかと思うが、まぁそういうことだ。

ここ最近こういった体験があまり無くてホントに驚いたのだが、書きながら考えることで思考の指向性(ダジャレでわない)は制御出来るのだが、アイデア未満のものがどんどん湧いてきて、それが書くのに追い付かないといった現象に見舞われた。まぁテキトーなものを書くわけにはいかないので、思い付いたものはそれなりに精査する。精査しながら書いているのは、まだそれ以前に思い付いた前提のようなものだ。で、それはしっかり書いておきたいという意思も存在する。そうしている間にも思い付いた設定なりの精査を頭でどんどん繰り広げて甲乙付けたりしている。それは世界観設定に連なるものなので、カテゴリーが違うものについても並行して考えなければならないが、色々考えた結果たった今精査したものは設定として使えないということに気付く。書いた設定が没になる。それについてどこが使えないのかもっとしっかり考えたいということになって、手が止まって思考がどんどん逸れていく。前述したようなフラッシュバックに見舞われたりイヤなあれこれについて考えていたりする。ここで僕は気付く。もしかして僕はADHDなのでわ?いや、別にADHDについての詳しい知識があるわけではないのでテキトーな自己診断は自分にも他人にも良い結果をもたらさないぞ、ということでまぁその診断は棚上げするわけだが、思考が散漫であるという事実は揺るがない。まぁ僕の思考が散漫なのはこのブログの過去記事を参照してもらえば随所で確認できることなのだが、それにしたってあんまりだぞ、ということになって今に至っている。

こういう、あまりにも自分の脳の構造に根付いたあれこれってホント簡単には直せないものではあるのだけど、直さなければと強く思ってしまうね。嘆いても仕方が無いので、「僕にはこういう性質があるんだぞ」ということを強く実感させるために書いた記事だった。これが今後の創作に活きてくるのかはわからないが、この記事を書くために思考した結果はこうして残るので、忘れっぽい僕のことだから、忘れた頃になって読み返してハッとしたりしてほしい。お前のことだぞ、八神きみどり。

 

 

収まりが悪いのでマンガも紹介しておく。

これね、『やがて君になる』。サイコー百合マンガなので皆さんも読みましょうね。今すぐね。

 

そういえば先日誕生日を迎えていよいよな年齢になってきていよいよだなぁということを思ってるのだけど、何もしなくてもどんどん加齢して脳が凝り固まっているだろうなか、こうやって自分の直したいところを挙げてそれに向き合っていくのは、客観的に考えてまぁつらいことだよなぁと思わなくもない。向き合うべくもない自分のことなのだから、こいつイヤだなぁと思わないようなおとなになりたかったと強く思う日々ですね、ホント。

 

だいたいブログ書こうと思ったときは精神的に切羽詰まっていることが多い

気がしますね、いやマジで。

 

年が明けて新年度にもなって、はぁホントに時間の流れ速いわぁとか思ってたら前回記事を書いたのがちょうど半年前だった。

別に誰に何を発信するわけでもないブログだし誰が楽しみにしているわけでも固定読者がいるわけでもないのでその辺の心配をするつもりはこれっぽっちも無いのだが、半年も更新の間隔が空くとブログにも微妙な変化が現れる。あの、「このブログは〇日以上更新されていません」みたいなやつが表示される。確認してみたら90日以上更新されていないと表示されるみたいだ。もし表示されてなかったらバックスペース連打によって虚空に飲まれる話題だったからちゃんと表示されてて安心した。いや、安心してはいけない。何せそれを消すために今こうしてブログを書いているのだ。己の無気力と向き合うために……。

 

というわけで、無気力です。別に改まって書くことでもないが……。

別にこの半年間まったく無為な時間を過ごしていたわけではないのだが、具体的には本を読んだりアニメを観たり映画を観たりといった僕の脳にあれこれを入力するための行為は結構欠かさずにやっていた。特別URLを貼ったりはしないが、小説を書いて投稿サイトに連載するなどということもやっていた。まぁ、更新が止まって一ヶ月ほど経っているが、なんだ、それまでせっせと行っていた入力したあれこれが尽きてしまったなぁと思ったので気分を入れ替えるためにそちらに集中していたらいつの間にか無気力な人間としてせっせと時間をドブに棄てていた。改めて思い返して列挙してみて、自分でも愕然としているが。

そうなるにあたって自分の中で何かしらの変化があったのだろうとは思うが、正直あまり心当たりが無い。心当たりが無いままに時間をドブに棄てるのはとてもつらいので、それを食い止めなければならないと思ったワケだ。この「ブログを書く」という行為がそれを抑止するために働いてくれるのかどうかは定かではないが、人間は、いや、人間に関わらないが、過去に成功に結びついた行動を反復する習性があるように思うので(名前がついたもののように思ったがパブロフの犬やオペラント学習は少し違うように思うし、合っているようにも思うのでわからん。エポニムを総当たりしてみるべきか)、僕もそれに従ってみることにした。別にブログを書くことで即小説を書けるモチベーション!みたいなことにはならないとは思うが、まぁ何事も試してみなければわからない。少なくとも、前回ここの更新が止まったあたりで何かしら心境の変化はあったように思うし、そうなっていきたいなぁという意図が多分に含まれるブログ更新体験になっていければと思っている。少なくとも、今流行りのバーチャルユーチューバーのアーカイブを垂れ流しながら延々パズルゲームをやっている状態よりは随分マシに思う。あ、ちなみに僕は主ににじさんじ所属の物述有栖さんを応援しています。その話は……、する機会あるのか?無いことを願いたい。

とか書いている間に1000字くらい書いているらしい。1000字なんてまぁ脳直で書けば10分以内で書けてしまうしあっという間といえばあっという間だが、それにしたってあんまりな情報密度なので自分でもガッカリしている。別に実のあるお話を誰かに届けたいがために書いているものでもないので気にする必要は無いが、なんだろう、もう少し自分の心理状態をちゃんと分析したい。そういう本を買ってくると良いのだろうか。心理学についてはちゃんと勉強したいなぁと思っているのだが、本を買ってくるに至っていないのが現状だ。あ、そういえばこの前久しぶりに新書なんてものを読んだが、ラノベや文芸作品などばかりを読んでいた弊害か、完全に読み物として消費してしまって難しさを感じてしまった。別に全然お堅い本ではなかったが、その都度書かれていることに面白がったりつまんないと思ったりするだけでは勿体ない種類の本なのではないかと思ったら、もっとちゃんとした(ちゃんとしたってなんだ?)本を読むのが怖くなってしまったという気持ちも無きにしも非ずな読書体験だった。(最近は特に固有名詞や作中情報、台詞などを長期的に覚えておくことが出来なくて老化を感じる。別に、全然記憶力に自信があるタイプの……いや、むしろ自信が無いタイプの人間ではあるのだが……)話がぐわんぐわん脱線した。

 

意欲的な人間になりたいという意思は常々持っているのだが、それもここ数年ずっと燻ってる、とりあえずそう思っておけばマシじゃね?みたいな、お守りみたいな気持ちに成り下がってしまって久しい気がする。

僕はだらだらするのが好きで、インドアで、特に人間嫌いで、でもそれは決して人間全員が嫌いということじゃなく、波長が合って仲良くしてくれるひととは積極的に関わっていきたいという都合の良さが全面に出たタイプの人間なのだが、その二律背反性とでも言うのか、まぁ別に普通のことなのだろうが、他人に対しての対応の一貫性とかを考えていたら仲良くしてくれるひとたちとの関わり方がわからなくなってしまって、「あぁ僕って不器用だなぁ」なんて思いながら自分可哀想モードに突入して行き過ぎた自己憐憫に浸っていられたらただの笑い話になるのだが、割と深刻なエラーとして脳内に出力されているらしく、なんかその辺が自分で自分の精神をじわじわ蝕んでいるような気がしてはいる。実生活で関わらなきゃいけないひとと接したときに生じるストレスも多分にあるとは思う。僕は割と他人への興味が強い人間だった自覚はあるのだが、ここ数年で一気にそれが失せてきて、幸いにもあまり深刻に考えないようになっていたのだが、まぁ相手からアクションされる事案になると無力感を覚える。自分はそうしないようにしようと思って、でも不意に距離感を見誤って自分がアクションする側になってしまって、それが負の連鎖を呼ぶ。僕は常々インターネット環境がある山奥で誰とも直接的に関わらずに孤独に暮らしたいという願望を抱いているのだが、なんだろう、相手が、というより、自分が他人を不快な気分にさせたくないという気持ちが源泉になっているのだろうか。とことん自分に甘い見立てだが、無きにしも非ずといったところか。まぁ、例えば電車内とかメシ屋とかで近くにいる赤の他人が僕をイライラさせるといったことの方が圧倒的に多いのだが。(パーソナルスペースが広い、クチャラーを親の仇のように憎んでいる、等の例が挙げられる)

 

といったようなことをずらずら書いてみて、別に対策を立てたり改善したりといったことが出来るような事柄でも無いような気がするしチラシの裏だなぁって感じがするけど、普通に生活してると、僕みたいに対人関係において神経質だろう人間は基本的には精神が上向くようなことはあんまり無いんだろうなぁみたいなことを思ったりもする。だからこそエンタメ作品を摂取することでカンフル剤としたいのだが、それも博打みたいなものだ。昨夜観た映画はとても良かったのだろうが、僕はあまり良さを見出せなくて、何よりとても衝撃的な終わり方をして呆気に取られてしまったせいで何を思えば良いのかわからなくなってしまった。まぁ、それも圧倒的にそういうことの方が多い。こころが沸き立つような強烈な読書、視聴体験というのは得難いものだ。クリストファー・ノーランの映画を観たり観直したりした方が有意義な気がしてきたのでしようと思います。雑に自己解決してしまって自分にめっちゃ呆れてるのがジャスト今だが、まぁそれはそれとして。

 

機動警察パトレイバー 劇場版 [Blu-ray]

機動警察パトレイバー 劇場版 [Blu-ray]

 

最近読んだ本でも雑に紹介しようと思ったが「これ!」という本が無かったので観た映画を紹介してお茶を濁す

まぁ今更感あるとは思うが、最近ようやく観たんですよパトレイバー

OVAに新旧版があったりテレビシリーズも幾つかあったり劇場版も沢山あって実写版もあるのでどれから手を付ければ良いかわからなかったので押井守が監督してるやつを重点して摂取した。つまり旧OVA版と劇場版1と2。押井守の映画は『イノセンス』とか『スカイ・クロラ』とかは観たけどあまりピンと来なくて、だから評判の良いやつをちゃんと観ようと思ったのでこのチョイスになった。ネトフリとかアマプラに並べばビューティフルドリーマーも観たいんだけど、TSUTAYA行った方が早いのかもしれない。

いやぁ、良いですね、パトレイバー……。

個人的に一番気に入ったのは劇場版1。エンタメ作品として完璧な構成だったように思う。あとエヴァ以前のアニメと言われても出典調べなかったら信じられないかもしれないと思った。とても面白かった。劇場版2も翌日くらいに観たけど、こっちも良かった。お話の構成としては1の方が上手くまとまっていたように思うけど、モチーフというか、まぁ、柘植さんよね。こういう悪役はとても良いと思うし、何らか自分の中で落とし込めていきたいと強く思った視聴体験だった。

そんなところだろうか。

とても散文的な記事になってしまったが、まぁ、こんなもんだろう。

とりあえず今は「僕が最高だと思える最高のヒロイン」をずっと考えているので、それを形にしていきたいと思う。7月8月あたりを目処に長編を完成させてどこかしらに応募したいのでね、それを目指してやっていこうと思うんですけどね。頑張りたいですね、ホントに。

あの日いただいた大切なものについて

 

ガーデン・ロスト (メディアワークス文庫)

ガーデン・ロスト (メディアワークス文庫)

 

 

これは2012年8月12日のことだった。

東京ビッグサイトで行われたコミックマーケット82の3日目に、僕は知人のサークルのお手伝いとして参加した。巡り合わせというか持つべきものは友というか、思い返してみれば僕はコミケに一般参加として待機列に並んだ記憶があまり無い。ということは、この日もチケットで入場させていただいたのだろう。

僕はこの日、コミケに参加した。非常に不義理な話ではあるのだが、サークルのお手伝いよりもっと重要な目的があって、僕はこの日を迎えた。

お手伝いしたサークルは、俗に言うお誕生日席という場所に配置されていた。区分けされた島の中でも大きな通りに面した、まぁ結構目立つ場所だ。

その向かい側のスペースだった。

そこで、僕が尊敬する紅玉いづき先生が、同人誌を配布されていた。

 

紅玉いづき先生の作品との出会いは、恐らく『19 ―ナインティーン―』というメディアワークス文庫から発刊されたアンソロジーだったように記憶している。

『2Bの黒髪』という作品だ。

どこかにこのエピソードを書いた覚えがあったのだが、確認してみたらこのブログだった。何度も語りたいエピソードなのだろうかと自分に問い掛けてみたが、まぁ好きな作品はオススメしたいものだろうなとは思う。ともかく、その鮮烈な読後の後に冒頭に貼った(このリンクを貼るのも2回目だ)『ガーデン・ロスト』と出会い、僕は先生の作品の虜になった。少女小説という括りになるのだろうか。出会いが出会いだったから、僕は特に、先生が書かれる少女たちが主人公の、現代~近未来を舞台にした小説が好きだ。少し趣は異なるが『サエズリ図書館のワルツさん』も好きだし、『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』はド直球で、これは大事な時に読み返す小説として大事にしている。もちろん『人食い三部作』も外せないが、僕個人の思い入れという意味では、先に挙げた作品たちの方が強いものがある。

 

小説を読む上で重要視しているものが個々人で異なる点については言うまでも無い。

奇抜な世界観だったり、凝ったギミックだったり、人間関係や人間模様だったり、その中でもSFやミステリ、歴史小説架空戦記、もっと大雑把に現代日本を舞台にしたものやファンタジーなど。まぁ、色々ある。僕はミステリ以外は基本的にはなんでも読もうと思っている読者だ。最近はラノベに偏ってしまっているが、これは精神的ハードルが大いに関わっていることだと思うので、調子が良いときでないとそれ以外を手に取るのが難しい傾向にあることはなんとなく自覚している。

僕が最重要視しているのは、人間の感情だ。

それが深刻に書かれているものであればジャンルは問わない。ミステリを好んで読まないのはこの辺が理由になっているような気がする。僕が認識しているミステリは、人間の心理を重要視しない。殺人ありきで、トリックありきという認識だ。まぁ「ミステリは読まないよ」と言いながら、ちゃんと読書するようになったのは、高校生の時に出会った西尾維新先生の『戯言シリーズ』だったりするのでつくづく自分の好みなんてアテにならねぇなとは思うのだが(このシリーズをミステリと括ってしまうことには若干の抵抗感もあるが)、ともかく、僕はそれを一番大事にしているし、一番大事にして欲しいと思っている。

一番大事にしていることが明白だったから、僕は『ガーデン・ロスト』が好きなのだろう。連作短編の最終章表題作『ガーデン・ロスト』は、本当に深刻にそれが描かれている。し、なんだろう、途轍もない切実さを筆致から感じた。僕にはこれっぽっちも馴染みの無かった世界の話なのだが、だから強烈に胸を打たれたことを覚えているし、今でも読み返して胸が苦しくなる思いがある。

総じてそういう作品に弱い。先日読んだ『りゅうおうのおしごと!』の3巻なんかは本当に読んでいて苦しかった。

なんかこう書くと苦しくなることを求めてるヘンな欲求を持った読者みたいに思われるかもしれないが、それほどの没入体験を得たいのだという話だ。好きか嫌いかに関わらず、それくらい僕のこころを掻き乱してくれるようなちからを持つ作品でなければ満足は出来ない。そう、満足したいのだ。数年前まで深刻だったバッドエンド症候群が最近改善し始めて、逆にハッピーエンド至上主義みたいになり始めてこれはこれで不味いのではと思いながらも、まぁ納得出来る終わりや納得出来ない終わりなどなど色々あるが、どちらにせよ、強烈な感情の振れ幅を僕に追体験させて欲しいという話だ。その1点を、僕はそれほど長くはない読書歴、執筆歴の中で、ずっと追い求め続けている。

 

と、まぁそういう経緯があって(どういう経緯だ?)、僕は鞄の中に『ガーデン・ロスト』を忍ばせてコミケに参加した。

非常に浅ましい気持ちであることは重々承知しているのだが、あわよくばサインを頂こうという魂胆だったのだ。尊敬する先生の作品に、尊敬する先生のサインを目の前で書いてもらうなんて、そうそうしてもらえることではないという認識があった。サイン本が店に並んでいることはままあるが、あらかじめサインしてもらった本を買うのとは違う格別さだ。僕はイベントなどに足を運びまくるアクティブな人間でもない。

何より、紅玉先生はブログやツイッターで、それが最後のサークル参加だと告知していた。

この機会を逃すわけにはいかないという思いがあった。だからお手伝いもそこそこに、僕はじっと機会を窺いつつ、ずっと賑わっていた先生のスペースからそこそこひとがはけたタイミングを狙って、ついに『ガーデン・ロスト』と財布を持って先生のスペースに向かった。

 

そこからの記憶は、少々曖昧だ。

僕はメンタルが弱いので、緊張するシチュエーションに本当に弱いのだが、それにしてもあそこまで緊張するとは自分でも思わなかった。

売り子のお姉さんに心配されるくらい身体が震えた。ガクガク震えた。同人誌を買って、あまり大っぴらに列を作ったりしないでと軽く注意されて(サイン会ではないのだから当然だ)、それから僕の番になって、先生と少しだけ言葉を交わすことが出来て、サインを書いてもらって、そのときに僕の名前を書いてもらえることになったのでペンネームを伝えたら、僕が当時あまりにもツイッターで先生の本のことをぺちゃくちゃ呟いていたせいというかお陰というか、なぜか先生から認知されていて、僕がプロを目指して小説を書いていることもご存じで、握手していただいて、応援の言葉とともに背を押していただいて(本当に背中を押してもらった)、それから僕は朦朧としながら喫煙所に行ったのだが、思い返してみると……、うん、結構覚えてる。それから先の記憶は本当に無い。

「絶対に報われますよ」と、確かそう言っていただいた覚えがある。

僕は本当に、本当に本当に感激して、そうして5年が経った。

 

僕はそれから何度かラノベの賞に応募した。

万年1次落選ワナビだったのだが、某賞でいきなり最終選考まで進み、その次に某賞でそれなりのところまで進んだものの、結局両方とも落選した。

それから僕の精神は低迷し、今、こうしてこの記事を書いている。

 

この記憶をこれ以上劣化させないためと、このときのことを鮮明に思い出したかったからだ。

本当にプロになりたいのなら、精神を低迷させている場合ではないことなどわかっている。決して選考で落ちるために小説を書いているわけではないが、まぁ十中八九は落ちる。自分の考える「面白い」が届かないのだ。それは技術的な問題かもしれない。好みの問題であるかもしれない。自分の思考が狭いのかもしれない。書いた小説に対する思い入れが浅いのかもしれない。まぁ、色々考えられる。色々考えられるが、書かなければ始まらないことは言うまでもない。僕は現状書けていない。書いている小説は幾つかあるが、どれも書きかけのまま止まっている。精神がストップを掛けてくる。言い訳かもしれない。まぁ、言い訳だろう。作品が面白い面白くない以前に、書いているひとが正義で、書いていないひとが悪なのだから、そこに言い訳を挟む余地は本来無い。それはわかっている。わかっているから、何とかしようとしている。精神を上向かせるための手段を渋っている場合ではないと思ったから、この記事を書こうとした。これは僕のとびきりの記憶だ。この記憶を掘り起こして記述した先に、かつてのようにがむしゃらに書けていた僕がいるのであれば、そこに手を伸ばしたいと思った。絶対に報われたいと思ったのだ。だって、絶対に報われたいじゃん。絶対に、報われたいよ。

というようなことです。

まずは気持ちを上向けることにがむしゃらになりたい。単調な日々の中でモチベーションを保つ術を思い出したい。

頑張りたいですね。頑張りますよ。なんかそういう気持ちになれてきた気がするし、これを一過性の気持ちで終わらせないよう維持していきたいよ、本当に。

 

 

これは余談なのだけど、その少し後に先生がインタビューというか、コラム的なものを文芸誌に書かれていたのを読んだ。

そのときの僕は金欠で、今その雑誌を買わなかったことを本当に後悔しているのだけど、それは立ち読みして、そこに書かれていたことは今でも覚えている。

握手した人間の才能の有無がわかる、と、先生は仰っていた。

これは、本当にダメージが大きい話だった。

 

創作者というのは難儀なもので、自分には才能があると思っているし、無いとも思っている、そういうジレンマを抱えた生き物であると僕は認識している。まぁ色々なひとがいるので、全員が全員そうであるとは思わないけど、才能があると思っているから創作をやめられないし、才能が無いと思っているから創作を続けてしまうような側面はあるんじゃないのかなって、そういう感じの認識だ。特にアマチュアの創作家は。

いやぁね、あのとき握手をしていただいて、そのとき何を思われていたのかしら。

考えても詮無いことだし、「才能が無いよ」って言われたからやめるかって言われたらそんなことは絶対に無いし、僕のことは僕が決めるし、まぁ才能に溢れてるならとっくにプロになれているんじゃないかとかそういうあれこれはまぁアレとしても。

うん。

頑張りたいですね。この一言に尽きてしまうんだよね、結局。

頑張っていこうと思う。

挫けてしまうことが多い日々をおくっているけれど、だらけることが本当に得意な性格をしているけれど、頑張らなかったら生きてる意味が無いよね。少なくとも僕はそう思う。

年間52冊は小説を読みたい気持ち

1年間は52週間あるらしい。

それが52週間 “も” であるのか、52週間 “しか” であるのかは個々人の見解にも依るところだとは思うが、それはそれとして、僕は先日365を7で割ってみる計算などをして、その結果に戦慄した。

1週間に1冊小説を読んだとしても、52冊しか読めないじょん!!

これが52冊 “も” であるのか、52冊 “しか” であるのかは個々人の見解にも依るところだとは思うが、それはそれとして、僕は年間100冊くらいは小説を読みたい願望があったので、その実質半分である52冊という数字に驚きを隠せなかったのだ。

と思い、おもむろに読書メーターを開いて今年読んだ本を数えてみた。

39冊だった。

今日は10月4日の水曜日だ。今年も275日が経過し、残るは90日といったところだ。もうそんなに過ぎてるの!?時間の神様無情すぎィ!!などと頭を抱えている間にも、かしこい僕は頭の中の電卓を叩いていた。およそ3秒の時間を念入りに費やした結果、およそ1週間に1冊のペースで読んでいる計算になった。即ち、これから毎週1冊ずつ読書していくと今年は52冊読める計算だ。

僕は「なるほど」と思わずこぼした。

年間100冊読むことがどれだけ難しいことかを実感したのだ。夢物語だったということだ。冷静に考えて、3~4日に1冊は読んでいなければ達成出来ない目標だ。この部屋にある大まかな積読本の冊数は把握しているつもりだし、それは当然読む本に困らない状況ということでもあるし、にも関わらずまた本を沢山買ってしまったのだが、まぁこの目標をこなすために3年書店に足を伸ばさずとも積読本がある状態であることには目を瞑るが、いやそもそも電書でも買っているのだから書店に足を伸ばす伸ばさない云々はまったく関係無いのだが、ともかく。

52冊って聞くとめっちゃ少ない気がする。

シリーズもののラノベを3タイトルくらい買ってきたらもうあとは買わなくても良いレベルだ。20冊を超えているシリーズもちらほら見るので、その要求は簡単にクリアできる。

100冊にしたところで、決して多い数とは言えない。

その月に出る文芸ラノベ翻訳小説などなど、ハードカバーからソフトカバー、文庫になんか他のあれこれまで合わせて全部買ったら小説だけで100冊なんて余裕で超えてしまいそうだ。その月で出る小説が100冊以上かもしれないのに年間で100冊に絞るってのは、数だけ見ればなかなか難しいことのように感じる。実際は……まぁ書店にいるときの気分とか財布の中身とかによる。古書店も利用すればハードルは更に下がる。万札を握りしめて100冊買ってくることなど全然難しくはない(某チェーン店を利用する時には消費税800円も一緒に持って行かないといけないから気を付けよう)。

読書をする行為が強迫観念に成り代わってしまうことについては以前の記事で書いた。自覚症状的に、結構危ういところをうろうろしているような気はしているが、幸いにも面白いラノベばかりを読めているので気持ちも前向きになっている気がするし、創作するにあたってのモチベーションに繋がっている手応えはある。先日はシリーズものの最新刊まで読み終えたあとに、布団に入って電書で単巻完結の小説を1章まで読み終えて寝ようと思ったらうっかり最後まで読んでしまってえらい目に遭った。面白い小説はこちらの生活のことなど考えてくれない。今年に入ってから39冊読んだことは前述したが、その内の4割くらいは先月くらいから読み始めた分なのでペース配分もおかしい。やる気というか、能動的に何かをしようと思えない時期があまりにも長くあったことが窺えるが、もう一度その状態に戻らないためにも、なんやかんやして自分の気持ちを盛り上げていきたいところだ。

ともあれ、こういう話をすると「冊数読めば良いってもんでもなくない!?」って言われることがあるよね。

確かに面白くない小説を選りすぐって100冊読んだところで得られるものはあまり無さそうだが(面白くなさに付きまとう“情報”には価値があるとは思う。同じ轍を踏まないために)、あなたは小説を買いにいくときに面白そうな本を選んで買わないワケ?という気持ちもあるので、余計なお節介な気がする。面白そうな本がつまらなかったなんて話は道端の砂利粒ほども転がってることなので、もっと慎重にことを進めるならレビューとかも参考にするだろうし、まぁ、あれか。何も読まないよりは100倍マシだよってことで。

 今日はなんか脳が取り留めもない感じなので散文的になってしまった。何が言いたかったかと言うと、「1週間に最低1冊は読みたいよね。で、それを続けてたら年間52冊の計算になるよね。最低限それくらいは小説読んでいきたいよね」ということだった。

なら最初からそう書けば良かった!と思っているのがジャスト今。

 

本を沢山読んだので紹介していく。

『とある飛空士』シリーズの犬村小六先生が送る新シリーズ。

僕はこう、気高いお姫様とかそういうヒロインにとても脆弱性があるので、気高いお姫様とかそういうヒロインにとても脆弱性がある皆様にオススメです。

あまり戦記物って読んだことがないので他の同ジャンルと比較してあれこれ言えないのが残念だけど、少なくとも僕は好きです。

ファニア・ガルメンディア王女殿下を信じてください。

僕から言えることは以上です。

 

先日1章だけ読んで寝るつもりがうっかり最後まで読んでしまった小説がこれ。

高木敦史先生は『“菜々子さん”の戯曲』シリーズを読んでめっちゃ好きになった作家さんだ。青春ミステリなんだけど結構毒のあるお話を書かれる方で、それがめっちゃ好きだ。ライトミステリというか、ミステリ自体僕はあまり好んでは読まないのだけど、人間をしっかり書いてくれるので僕の好みの範疇だ。菜々子さんもそうだったけど、鉢町あかねさんもとても良かった……。

安楽椅子探偵ならぬ暗室探偵なのでその辺好みはあるだろうけど、そういう目に見えるシチュエーションというより、追うべき部分を追うことの方が重要だと思うので、読み方さえ間違わなければ楽しく読めると思う。

オチがまた憎いんだよなぁ……。

 

さっき1巻読んだばかりだけど、アニメ化、めっちゃ楽しみですね!!

 

そんなところだろうか。

秋アニメも始まってしまうし、季節の移り変わりマジで恐いんでそろそろマジでエンジンかけていきたいですねマジで。