Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

やる気が出ない状態について

基本的に、身体は倦怠感に包まれている。精神の方もそれに寄り添っている気がする。順序は逆かもしれないが、双方ともがマイナス方向に位置し続けて結構長い時間が経つ実感がある。つまり、だるくてめんどくさい状態だ。元々やる気とか活気とかなんかそういう漲る力!みたいなものとは縁遠い人間である自覚はあるが、それにしてもここ2~3年の状態はとても酷い。酷い自覚だけが積み重なり続けている。

小説を書かなければならない(この場合の“書かなければならない”というのは別に誰かや社会から課せられた使命や職務的な意味合いとしてのものではなく、なんだろう、自分がやると決めたものに対して責任……というと大袈裟な話かもしれないが、ともかく、それをすることで自分の状態を大きく変えたいという願いのようなものである気がする)という意思だけはハッキリと存在している。同時に、それをより円滑に進めるためのインプット……なんか横文字使うと気取ってる感が出てしまって嫌味っぽい気がする……まぁ面白いものなり興味深いものに触れることで自分の意識を触発させるための手段としてのそれをしようという意思も同時に存在する。ラノベなり文芸小説なり、アニメや映画なり。面白いものは基本的に大好きだ。そういうものに触れたい気持ちは強い方だと自覚している。それすらも摂取しようとは思えない酷い時期も過去にはあったのだが、その段階は克服出来たように思う。でも、今でも時々ダメになってしまう時はある。精神の状態が良くない自覚はずっとある。それは色々な外的要因によって引き起こされるものだとは思うが、こうも長引いているのには、そんな色々な外的要因よりもよっぽど大きな、重篤な要因があるんじゃないかと疑わざるを得ない。

人間は基本的に全ての物事に因果を求める生き物だ。〇〇がそうなったのには××といった理由がある。△△がこうならないのには□□といった理由がある。誰々さんが私を嫌いなのにはこれこれの理由がある。私が誰々々さんを嫌いなのにはこれこれこれといった理由がある……。まぁ大体その通りだろう。いや、大体そういった理由が理由の一つとして存在する場合が多いのだろう、と言った方が適切かもしれない。わからない状態はひどく不安だ。因果が存在しないものというのは往々にして当事者なり観測者なり、そのひとたちの理解の外側にあるものである場合が多いから、上手く飲み込むことが出来ないものである場合もやはり多い。なんでこうなったんだろう……とか、なんであのひとのことこんなに嫌いなんだろう……みたいな、そういう状況はあまり望ましくないのだ、不安になってしまうから。だから自分が一番妥当だと思える理由を作って、それを自分に言い聞かせる場面というのは結構あることなんじゃないかと思う。隣の奥さんは燃えるゴミの回収日の翌日に決まって燃えるゴミを出す……。きっとあの奥さんには曜日感覚が無いのだ。旦那が深夜にみすぼらしい格好でコンビニに行くのを週に何度も見る。あんなだらしない旦那と結婚するような奥さんなのだから、きっと彼女自身にも問題があるに違いない。だから曜日がわからないのだろうし、燃えるゴミを回収日の翌日に出すのだ。……なんか即興で考えた割にヘンにそれっぽいエピソードになってしまった。別に僕の住んでいる家の隣にこういう奥さんがいるわけではないが、こういうことだとして納得する場面って結構あるし、この主観である奥さんは持っている少ない情報を繋げているだけで新しい情報を得て答えとしているわけではない。自分が一番よく理解出来る妄想だということだ。

話が逸れたように思うが、つまりは「やる気が出ない状態」というこの僕の長らく続くマイナスの状態に答えを導き出そうとしたところで、それはこう、人間の心理や精神の状態についてのプロが下した判断ではないのだから、こじつけになる可能性が高い、ということだ。いや、間違い無くこじつけになるはずだ。色眼鏡無しに可愛い可愛い自分に冷静な目を向けられる人間なんてまぁいないってことも、経験からなんとなくわかるよね。

なんやかんや色々書いたが、恐らく「やる気が出ない状態」に因果を求めることに意味は無い。やる気が無いからやる気を出していこう、という気持ちの切り替えが大事なのは言うまでもない。小説を書きたいんだから書けば良い。まぁ、その通りだ。ケチの付けようが無いくらいその通りの正論だ。それでも動けないのだから、因果を求めてしまう。で、それに意味が無いのは、前述するくらいなのだから、僕自身が一番よくわかっている。

色々あるよね。失敗することが恐いとか。失敗したことで時間を無駄にしてしまうことが恐いとか。それ以上に時間を無駄にすることに時間を費やしているのに、そうなってしまうことの方がリスクとして大きいと認識しているのは我ながらヘンな認識だ。

例えば小説を書いてる途中に盛大な失敗をしてしまったとして、それは恐らく何らかの糧にはなるはずだ。設定が矛盾してしまったとか、キャラが崩壊してしまったとか。恐らくその状況そのものが反面教師というか、糧そのものになることは殆ど無いとは思うが(同じようなモチーフを繰り返し書いているひとなら結構あるのかもしれない。僕にはよくわからない状況だ)、その状況が起こったことに対して向ける注意が増える、という意味では糧になるのかもしれない。設定や登場人物を、もっと注意深く作ろう、的な。わお、盛大に話が逸れた。

注意出来ないこともあるし、対策が取れないようなこともあるだろうけど、まぁそんなことは考えても仕方の無いことなのだから、自分の認識を説得していく姿勢を作っていくべきなのだろうとは思う。

やる気出ないよね。でもなんとかやっていきたいよね。

そういう気持ちで小説を書くということと徐々に向き合っていきたい。

自分に言い聞かせるつもりで書いた記事だが、なんか無駄に精神論っぽくなってしまったし(僕は基本的に精神論が嫌いだ)、こういうこと書きたかったんだっけ……という思いが無いことも無い……。

あとは、そうだなぁ……、最近切羽詰まってないように感じる。

でも、切羽詰まるってどうやってしたら良いんだろう。

……僕の明日はどっちだ!