Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 9/27(木)の気持ち

あんなにも暑くて暑くて暑かった夏はもうすっかり成りを潜め、ここ最近は雨が多いしやたらと涼しい日が続いている。

自分がかなり気候や天気に影響されやすい人間だという自覚はとてもある。週明け頃には風邪を引きそうになった。微妙な体調に気付いた瞬間に風邪薬を飲んだら持ち直したが、また微妙な体調になり始めている。ルーチンのような日々を過ごしているのであまり風邪を引かない(引いていたとしても気付かない)僕も、さすがに季節の変わり目には弱い。知り合いや応援してるひとたちも続々と体調を崩しているように見受けられるので、体調管理くらいには気を遣いたいと思った。

季節の変わり目は体調に大きく影響を及ぼすが、精神にも同じくらいの負荷を掛けていることにも自覚的になるようにはしている。

気圧が下がると精神状態も危うくなる傾向にある。頭痛に悩まされる、までいくと頭痛のことだけしか気にならないのでむしろ自分を御しやすい。問題は「あー今日何もやる気無いなぁ」くらいのテンションだ。いや、この辺はまだ自分の精神状態について自覚的な範囲か。なんとも表現しにくいが、「何をやっても空回るときのテンション」というのがある。酔っ払いが「俺は酔ってない」と頻りに言うような、なんだろう、「僕の精神状態はまだ大丈夫」と表面上なり表面下なりで思っているような状態だ。こういうときは大抵天気が悪かったり、前日との気温差がすごかったりする。「僕はまだ大丈夫だから、意欲的になるための行動ができる」と思って、やたらと、普段はあまりしない他人に対してのアクションを取ったりし始める。こういう精神状態のときはヤバイ。まず、自分の精神状態が普段と違うことに自覚的ではない。アクションを取ることで浮上できると思うのは良いのだが、その不安定な精神状態(必ずしもテンションが低いというわけでもない)が引き起こすアクションはその誰かに対しての配慮がすっぱり抜け落ちていることも多い。それが功を奏したというような記憶は当然あまり無い。

自分の性格が失敗体験を殊更重視している傾向には気付いている。それが何かしら良かった結果をもたらしたこともあるのかもしれないが、そういう記憶はまったく印象に残っていない。だから自分のこの傾向が兎角悪いものだという印象ばかりが募っている。

まぁ、自分のテンションちょっとヤベェなという時があったとして、それが個人的な内的外的問わない要因だったりしない場合、前述したような天気に影響されたり温度差に影響されてるなとその時なり後から気付いた時、大抵普通に他のひとも天気や温度差や気圧に影響されて滅入っている場合が多いだろうし、単純に事故が起こりやすい状況になっているのはそうだろうなと思っているので、やっぱりそういうときは大人しくしているのが一番っぽい。

別に何かしら直近であったわけではないが、そういう状況になりやすい条件がめちゃくちゃ揃っているここ数日なので、そういうことが起こらないように自分を律していきたいなという願いも込めてここに記しておく。

でも、最近ちょっと自分の中の他者への攻撃性というか、そういうのがやたらと強まっている気がしている。

僕は元来そういう攻撃性を糧にして創作をしてきたタイプの人間だ。だからこれは単純に良い悪いという基準で判断出来ない。創作する機運が高まってきているとも取れる。だが、他者への攻撃性を剥き出しにした人間が、普通に誰かとコミュニケートする場に出ていったり、おそとにほいほい出て行くのは普通にとても危険だ。そりゃそうだ。僕ならそういう奴がいるような場所には行かない。ミュートなり何なりの機能がある場所ならそれを使ってそいつを視界に入らないようにする。

というようなことを最近ちょくちょく考えていた。

なんだろう、僕は自分が面倒だなと思った事柄からとにかく逃避する傾向にある。そりゃ普通に暮らしていれば色々なひとたちと関わり合う機会は沢山あるが、そのほとんどの繋がりを逃避することで潰してきた自覚はとてもある。新しいことにチャレンジするのも億劫だ。僕みたいな人間が、という枕詞が、別にくちに出して言ったりはしないが、自分の中で何かをやらない、諦めるときの口癖になっている自覚もある。少し思考をネガティブに進め過ぎた。

まぁ、だからこれも一つの逃避なんだろうことはよくよく理解している。

しばらく、何かを吐き出したり思ったことを書きたいなと思ったときはここをメインに使うことにする。誰も見ていないわけではないが、殆ど人目に付かない場所というのはとても都合が良い。例えば文房具店でノートを買ってきてそこに書き殴るなり、プレーンテキストを開いてそこに書き殴る、というのは、こう説明が難しいのだけど、僕の中では「違う」気がしている。

誰かに見られる可能性がある場所に「公開する」という手続きを、殺しきれない承認欲求の漏洩が踏ませたがっているのだろうか。まぁ、単純に誰かに見られない文章なんて書く気がしないというのはもっともっぽい理由のような気はしている。それが結果的にお蔵入りさせた書きかけの小説と違うところは、その小説はそもそも誰かに読ませるために書いたものだから、というような例を持ち出したらそれっぽい気もする(それっぽくは無い)。別に承認欲求が特別悪いものだとは思わないけど、大勢に「俺を承認しろ」って言ってまわる姿はちょっとみっともないって思ってしまうよね。頑張っていれば必然的に周りが承認してくれる、という姿勢も大概みっともないとは思うけど。成果物と宣伝行為の天秤関係、みたいなことをぼんやり考えながら、今日のところは筆を置くことにする。

書きたい書きたい言ってる小説もまぁアイデアが降ってこないし、この姿勢がそもそも良くないってことはわかっていても、自分から要素を当て嵌めていく土台の作り方に慣れていないし、まぁそれも一つのチャレンジなんだろうけどな。逃避していてばかりではダメなんだ、本当に。