Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 11/12(火)の気持ち

期間を空けたとはいえ、ハニーストラップに関する記事を立て続けに書いて、結局ハニーストラップの記事は4件書いているんだけど、なんかこう本来想定していたこのブログの使い方から逸脱しているような気もしているので、何でも無い記事を書いて中和しておこうと思う。

別段、特筆して書くようなことも無いのだが、ここに長文を書くことがタイピングの練習になっている感も抱いている。別に今更練習するようなものでも無いし、タイピング遅くなってるわーみたいなこともあんまり無いのでそれは嘘なのだが(嘘なんかーい!)、なんだろう、こう、ブログにしても小説にしても、1つのパラグラフというかチャプターというか、にどれだけの情報を詰め込めるのかって割と訓練しないと伸ばせないものだと感覚的に思っていて、なんだろう、説明が難しいんだけど、うん、それって別に適切な尺の長さとか情報の必要量とかそういうことでも無いんだけど、まぁ端的に言うと飽きの問題だ。それと、自分の脳内で掌握出来る情報量の限界の話というか。

小説を書いているとままあることなんだけど、必要なシーンを書いているはずなのに、焦れったくなってきて「これ展開として正しいのか……?」みたいになってくるシーンと出くわしたりする。結果的に言えば、そういう疑問が浮かんでしまう時点でそのシーンはまるごと没にしてリフォームしてやるなりプロットそのものの改変が必要なんだけど、まぁそうじゃなくても、わざと読者を焦らさなきゃいけないシーンなどは根気強く書かなければならなかったりもする。手前味噌の話になってしまうが、僕が某所に載せた二次創作小説ではそういうことをやって、まぁそのチャプターを書くのは結構しんどかった。結果的に当初予定していた展開とはまるで別物の展開になったし、それは今公開している状態にして正解だったとも思っているが、なんだろう、さっさと話題を転換するなり展開を着地させてやるなりってのは一種の逃げで、書き手の忍耐ぢからがその作品にとっての最適解を書けるに至っていない未熟な状態であるのはその通りで、割とこの辺のさじ加減をしっかり見極められているかそうでないかがある種の分水嶺になっているような感覚はずっと抱いている。別に過去に正解を導き出せたからといってこれから先、まったく別の題材で小説を書くときに同じように出来るとも別に保証されてはいないし、むしろそこにこだわりすぎて自分がつらくなってしまうというのはとても身に覚えのある感覚なので、まぁそういう自分の忍耐ぢからの限界を伸ばしたいみたいなことはずっと考えていたことでもある。

実際、ここに記事を書いているとき、僕は割とコロコロ話題を変えて好き勝手あれこれ書いているんだけど、読み返してみると(書こうと思っていたことを忘れてしまうということもあるが)、記述不足だなぁみたいに思うことはままある。特にタイトルを「(日付)の気持ち」として書き始めた以前の記事はその傾向が顕著だ。別にそれは自分が読み返した時に想起出来れば良いものだけど、読み返した時に「ここはもっと書きたいことあったじゃん」って思うのは結構不毛だ。なんかその度に書き足していくのも違う気がする。し、まぁ別に無理くり書き足したみたいなことは投稿直後に読み返して気付いたものは例外にしても、やったことが無いので心底僕はそう思っているのだろう。あと日記にしっかりした推敲作業をあてるのもなんか「そこまで肩肘張った記事かー?」という感じもする。しょうもないことしか書いてないのにねぇ、5000字を7000文字に増やすみたいなのも別に……って感じがするよね(基本的に僕は削るよりは加筆する方が多い。まぁ投稿作は無限文字数書けないので最終的には大幅に削るのだが)。

 

とか言ってる端から話題が変わるんだけど、今、脳内でプロットというか設定というか、そういうのを諸々含めて膨らませている最中だ。大まかな方向性は決まっていながらもまだまだ全然書き始められるに至っていない程度の情報量しか浮かんではいないので、結構難儀している。やりたいことと浮かんだことのすり合わせが結構難しくて、何とか折り合い付けて進めていきたいとは思っているんだけど、結構煮詰まってしまって、登場人物の名前を考えてそれを取っ掛かりにしようと思ったんだよね。

日本人の名前を考えるならそこまで頭は捻らなくても良いんだけど(結構捻るけども。どっちだ)、僕はあまりカタカナで名前・苗字って形式の名前をそれほど考えたことが無かったので……、まぁ端的に言うとファンタジーをそれほど書いたことが無かったので、これに結構難儀していた。過去形で「していた」とか言って、さももう名前は考え終わったみたいな書き方を無意識にしてしまったが、進行形で考えている。難しいんですよね、とても難しいと思っている。

別にファンタジー的な名前に強いこだわりがあるというわけではないし、そもそも強くこだわれるほど各国の名前事情というかそういう知識も無いのだが(ハヤカワFTの本とか、つまり翻訳小説のハイファンタジー小説は読みたいと思ってるがその知識も無いのでどこから手を付けて良いかわからない問題、あると思います)、でもせっかくそういう名前を考えるなら架空性の強い名前にしたいと思ってしまうし、実際に考えるとやはり日本人的に響きの良い音の名前候補が並んでしまったり、自分が気に入ってる響きの名前候補も並んでしまうなどして難しさを感じた。特に3文字4文字の響きの良い女性の名前は検索するとその辺の美容室とかに使われている文字列だったりしてげんなりするということも多々ある。そういうことなので架空性と響きは両立が難しいものだということも学べて頭を抱えるしか無かったわけだ。ある程度の妥協が必要だということも同時に学んだ。

そもそも僕の読書スタイルというかなんというか、そういうのも大概いい加減になってきていて、こういう風に自分が書く小説に対してはネーミングに対してさも真面目に取り組んでいますよ的な立ち位置にいることを醸してしまっているのだが、他人の小説というか、商業作品でもアマチュアの一次創作でも良いんだけど、それの登場人物の名前って作品を読み進める上での識別記号としてしか認識していないという問題があるんだよね。具体的に言うなら、その作品を読んでいる最中だけ、その名前がヒロインの名前であることを認識出来ていれば良い状態だ。だから読み終わって、キャラなり物語なり作中モチーフなり、それらの印象が薄ければもう読み終わった瞬間には忘れている。よほど印象的なヒロインだった場合は覚えているが。陽炎・サビーネ・クルツリンガーちゃんとか、アセイラム・ヴァース・アリューシア姫殿下とか。自分が他者の作品の登場人物に対してそういう態度なのに……、という、あらゆる物事に対して均一な対応を心掛けようみたいなある種潔癖的な態度でいることが必ずしも良いことだとも思わないけど、ともかく、作品をそれなりに摂取していて、その興味がシナリオ上に重きを置いているひとはこういう傾向になるんじゃないかとも思っているが、まぁそういうのに労力とか時間をそれなりに割くのってどうなのよ?みたいなことも考えてしまってとても不毛だ。実際に死ぬほど頭を使わなきゃいけないのは、主にシナリオであることもそりゃそうだという感じなんだけどね。

でも、これも突き詰めて考えてみると難しい話で、例えば僕が読んで腑に落ちねぇな……みたいに思った小説とかアニメとかあったとするじゃん。でもそれって消費者である僕は、というか消費者という立場は自分の価値観を自由に振りかざす身勝手な振る舞いを許容されている部分も無いとは言えないので、ゆえに一方的に「この作品はベストを尽くされていない」みたいな断定をしてしまいがちなんだけど、でも作者からしてみればそれが渾身の作品ではない、ということはあまり無い状況だとは思うんだよね。いや、ベストを尽くせていないという状況は往々にして起きるとは思うけど。お仕事なんだから納期という問題もあるし、発注側の要求に応えなきゃならない都合で必ずしも自分の好き勝手創れるものでも無いとは思うし。でもその中でのベストは尽くされているとは思うんだよ。わからんけどね。そうであってほしいという僕の願いかもしれないけど。で、それを判定する僕は無駄に目と自意識を肥やした飽食のオタクなので、僕の基準で好き勝手言うわけだ。でも、恐らくその作品の、例えば僕が識別記号としてしか認識していなかったメインヒロインは、最大限作者の愛が込められて作中でメインヒロインとして振る舞うことを許されたキャラクターとして創られているはずなのだな。それが僕のお眼鏡にかなわなかったり、ヘキのストライクゾーンに入ってこなかっただけで。僕がそれに対する努力を可視化出来なかっただけで、まぁ実際には本当にわからないことだけど、別に量産型ヒロインを創ろうと思って創られたわけでは無いとは思うんだよな。だから例えば僕が僕のことを鑑みて、「いやメインヒロインはメインヒロインという役割が重要なのであって名前は識別記号でしか無いんだからそこは別にこだわるところじゃないでしょ」という考え方でメインヒロインの名前をなあなあに考えるのは姿勢とかいう曖昧な話にはなってしまうけど、違うとは思うんだよな。

そもそも論として、愛着の話があるんだよな。

実際に物語を創るわけだよ自分が。マンガにせよ小説にせよアニメにせよ映画にせよ、それの消費速度って製作時間に対してあまりにも一瞬過ぎるから忘れがちなんだけど、普通に一ヶ月二ヶ月、あるいは半年一年それ以上とめちゃくちゃ長い期間を費やして創られた、作者の命を文字通り削って創られた生半可なものではないはずなんだよな。実際に僕も大体新人賞の規定文字数や枚数を満たした長編一作を書くのに二ヶ月とか三ヶ月とか平気で掛かるわけだ。二ヶ月とか三ヶ月とか、決して短い時間ではないはずだ。その間、大袈裟な話では無くずっとその作品に登場するキャラクラーのことを考え続けるわけだよな。ずっと考え続けて、どうしたらこのキャラが映えるだろうとか、メインヒロインだったら他に撒いたサブヒロインより可愛く出来るだろうかとか、そういうことを死ぬほど考えて最適解を実行していかなきゃならない相手に対して、例えば日本人の名前を付けるとして「いやぁ考えるのめんどいからヨシコでイイや(鼻ほじ」みたいなモチベで名前を考えたヒロインと向き合い続けることは不可能だと思うんだよな。いや、ヨシコという名前が悪いと言っているわけじゃなくて、あくまで姿勢の話なのでこれをヨシコさんが読んでいたら本当にごめんなさい……。まぁ、そういうことだ。そういうヒロインをメインヒロインにすることが僕は不可能なので、だからこれは曖昧な話なのだな。

自分がこれから無数にタイピングするなり発音したりして、その魅力を十二分に引き出して読者のヘキをぶち抜くなり新たに開拓させてやるなりそういう願いを込めるべき、作品の看板であるメインヒロインの名前に手を抜くなど有り得ない、というような話だった。

 

シナリオは間違い無く大事だ。それに心血を注ぐために思考リソースをふんだんに割くというのはもちろんした方が良い。そのための研究も間違い無くした方が良い。なかなかシナリオを決め打ちで組み立てることは難しい。だから幾つも筋書きを考えては精査して対比して組み合わせるなどしたり最悪更地にしてしまうなどの試行錯誤は当然するべきだと僕は思っている。それは別に複雑なお話に限らないとも思っている。手垢の付いたお話だからこそ精査するべきポイントが多い場合もあるとは思う。

だけど、それに至るまでのポイントで最初から妥協ありきというか、自分のモチベを損ねるようなことはしたくないと思ったのだよな。なんかそういうアドバイスをされて心底納得がいかなかったのでここで自分の考えを整理するなどした。そのひとに対して僕が考える僕にとっての間違いを突き付けてやったり論破してやろうという気は別に無いので、僕の考えを明確にしたかった目的が強いのだが、些か攻撃的な論調になりすぎたことは多少自覚している。まぁ、他人のポイントポイントに於ける創作の姿勢なんかには全然興味も湧かないので、あなたがそうやるならあなたはそうやってくれ(僕にその姿勢を押し付けないでくれ。それは明確なマナー違反だ)、ということに尽きる気もしているので、別に攻撃的になる必要も全然無かったわけだが(どうも自分の領域を侵されたと感じると正当防衛を名目に過剰防衛してしまう性質があるっぽいのでこれは直していきたいですね……)。

うん。最初の話題に戻るんだけど、結構書きたいことを飽きずに書き続けられるようにはなっているように感じる。熱量の問題もあるだろうけど、最初から意識しているかしていないかの問題も結構大きいように感じるので、意識的になっていきたいね。

 

考えているお話を言語化することに慎重になっているという話は以前に書いた覚えがある。それは割と重要だと思っているし、無闇矢鱈に言語化して脳内のイメージからねじ曲げてしまうのは本当に避けたいとは思っているのだけど、そういうスタンスにも色々あるとは思っていて、とりあえず捨てるつもりでパイロット版なりテスト版なりを書いてみるのも悪くないんじゃないのかと最近思っている。それにイメージが引き摺られてしまうことこそが怖いわけだけど、でもそれを直したり思考の転換をスムーズに行いたい願いがあるのなら、そういう体験を重ねていかなければ自分を変えることは出来ないよね。結局一発成功体験!ということが出来ない人間であることはわかっているのだから、失敗体験を敢えて重ねることで経験知識を蓄えるのが重要だと最近思えてきているので、何らか試していきたいね。

益体の無い記事は脳に良い。

そう。ここは僕の脳に良いことをする場所なのだ。

それを忘れないようにもしていこう。