Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 11/25(日)の文フリとコミティアに一般参加した気持ち

何が決定的な動機になったのか自分でもよくわかっていないが、今日、僕は久しぶりに東京の海の方に行くなどした。

第二十七回文学フリマ東京と、COMITIA126に一般参加した。

 

僕は元来、外出嫌いな性質というわけではなかった。地元の田舎に居た頃はチャリンコを転がして友人の家に行き自宅のように入り浸っていたり、隣町にある書店に入り浸っていたり、休日にも関わらず通っていた高校にて所属していた部活の部室、及び道場(武道系の部活に所属していた)に入り浸っていたりした。自宅にいるのが耐えられないタイプのクソガキだった記憶が強い。それが上京した後、諸々の出来事を経たことにより自宅に閉じこもることにこそ至福を感じるタイプのオタクになった。

思えばイベントに足を運ぶことも殆ど無くなった。一時期は夏冬両方のコミケの3日目に足を運んでいた。過去の記事にチラッと書いた覚えもあるが、友人のお手伝いとしてサークル参加側として参加していたのだが、他にはコミティアにも毎回というわけではないが、それなりに参加していた。上記した文学フリマやボマスなんかにも参加したこともある。にも関わらず例大祭紅楼夢には参加したことが無いし、特定作品のオンリーイベントなんかにも足を運んだことは無い中途半端なイベント参加遍歴を持っていることに今気付いたが、まぁ、よく遊びに行っていたのだな。何らかの契機で切れてしまった友人との繋がりや、そもそも友人がサークル参加しなくなったなどの要因も重なって現状に落ち着いていることにも気付いた。そこから逆算すると、どうやら僕は同人即売会というイベントを目当ての薄かったり分厚かったりする薄い本を手に入れるためというよりは、遠方に住んでいたり、住んでいる街は近いがめちゃくちゃ忙しくて予定が合わない友人たちに会うための場所だと思っていることに思い至った。思えば交友関係も随分と狭くなり、新たに友人関係を築くことに苦手意識も抱き始めて行動しなくなり、閉じた日々を半ばルーチンとしてこなすこの毎日の中で、わざわざ決して近くは無いし散財する危険性のある場所に足を運ぶ選択肢も挙がってはこないよなぁということを今考えている。そもそも即売会というのは基本的には日曜日に開催されることが多いし、僕の日曜日は基本的に寝て終わってしまう曜日にもなっているので、午前なり正午なりに起きて休日の混んだ電車に揺られて人混みでごった返している会場に行くというのは何らかのバッドステータスも得やすかったりするよなぁなどと思ったりもする。

だから自分が一般参加という立場でイベントに参加したという事実に、自分が一番驚いていたりする。決定的な動機が無いとは書いたが、まぁお会いして挨拶したい方はいたのだな。だが、それと睡眠時間を天秤に掛けて、そちらを取ったというのは、1年前の僕からはまったく想像が出来ない行動動機だった(1年前の僕は本当に酷い精神状態だったのだと今更になって自覚する有様なのだが)。

都心の方で何回か電車を乗り換えて、東京モノレールとかいうやつに乗った。モノレールとかいうやつには数えるほどしか乗ったことがないが(というより前回文学フリマに参加したときが最初で最後だったろうか)、その時の記憶も一切残っていなかったので初めて乗るような心地で運搬され、流通センター駅とかいう駅で降りた。こちらもまた一切覚えていない駅構内の一本道を他に下車したひとたちに流されるように歩いて、まったく見覚えの無い外に出て、開催場所である東京流通センター第二展示場とかいう建物に入ったらさすがに覚えのある造りで多少は安心した。

僕はケータイを光らせて速やかに文学フリマの公式サイトにアクセスし、お目当てのスペースを検索した。かつてはお目当てのサークルをメモするくらいの知恵が回った覚えがあるが、そんな初歩的な準備も忘却していた結果の愚挙だった。

あの、長机がノートに引かれた罫線のように並べられて、出店主や売り子たちが間に作られた通路を眺めたり一般参加者たち(あるいは途中退席した他の出店主や売り子たち)に声を掛けたりして、対するそれら通行人は興味を惹かれて立ち止まったりちんたら歩いたりすることで特に規模感の小さいイベントでは往々にして無秩序で混沌な様相が呈されるその真っ只中を歩くその感覚を、随分ぶりに強く実感した。あまりにも久々なその感覚に、僕は一瞬自分が何をするためにこの場所に来たのかを忘却し掛けた。が、なんとか思い出してお目当てのブースに到達した。新刊を一部買い、「〇〇さんいらっしゃいますか?」と声を掛けるために口を開いて第一声を発したその瞬間に、僕は自分の対人スキルが著しく低下していることに鋭く気付いた。僕は大概間が悪い人間なので、たまたま挨拶したい方が離席しているタイミングで訪れてしまい、「書き置き残されますか?」と優しく提案してくれた売り子のお兄さんに「あ、いえ、じゃあちょっと回ってからまた来ます!」としどろもどろになる寸前の精神状態で答えて、別の方のブースに行くことにした。そちらでの立ち振る舞いは、今考えてみれば非常に危ういものだった。新刊を一部買い「あの、八神ですが、覚えてらっしゃいますか?」と、インターネットの上では何度かやり取りしたことはあったが実際に会ったことは1回しか無い上にもう数年インターネット上でもやり取りをしていない(どころか僕は当時のアカウントが残っているだけのインターネット墓標みたいになっている)その出店主さんに切り出してやや怪訝な顔をされ、「八神きみどりです」とフルネームで名乗って「あぁ!あのアイコンの!」と、当時ツイッターのアイコンがやや個性的だったことが手伝ったお陰かギリギリのところで思い出して頂けるという、タコ糸の上で綱渡りして半分以上落ちながら何とか指一本分くらいは向こう岸に辿り着いたみたいな、そういう賭けの勝ち方をして、これ出店主さんが僕のこと覚えてなかったらマジでメンタル折れてたかもしれない……みたいなそういうことを今考えていて、本当に九死に一生を得たみたいな体験をした。それから軽くお話をして最初に伺ったブースに戻り、今度はちゃんと挨拶も出来て、その2スペースにだけ足を運んで、滞在時間20分ほどで僕は再び流通センター駅に戻った。

この20分は、恐らくここ最近の僕の人生の中でも非常に密度の高い20分だった。ほぼほぼ初対面の方と、正真正銘初対面の方に(インターネット上での軽いやり取りは何度かしたことはあるが)それぞれ1分から3分くらいの短い時間ではあるが、実際に対面しながら会話を交わして、過去にイベントに参加していたときは別に普通に出来ていたからと特に心配していなかったその状況で、比喩ではなく本当に頭が真っ白になった。

別に過去の自分がそういう場で上手く立ち回れていたとは少しも思っていないが、恐らく普通のひとだったらそれほど難儀しないそういった状況で、こうもテンパれるものなのかと、自分に愕然としたのだな。別に、だから改善するためにこれからは交友関係を手広くやっていこう!そのためにインターネット上で活動的な人間になろう!などとはこれっぽっちも思っていないが、そういった機会を途絶させるということがどういう変化を自分に与えて、どういう風に人間として退化していくのかをまざまざと自覚させられて、さすがの僕でも危機感を覚えたという話だった。と同時に、程良いカンフル剤になったのではないかとも思った。自分に自覚的になるという目標を達成するためには、自分の脳内で完結する、させることばかりが必要ではないのだと改めて実感したのだな。他者と触れ合うことで認識なり再認識することも多いのかもしれないという当たり前の事実に思い至った良い経験になった。

それから東京モノレール浜松町駅側に戻り、天王洲アイルで降りて改札から改札まで150メートルほど歩かされてようやくりんかい線に乗り換え、国際展示場駅で降りてあのめちゃくちゃな距離があるビッグサイト東館に辿り着いてからは今でも交流のある顔なじみの友人たちと落ち合い、あれこれ喋ったり閉幕の拍手をしてからサイゼに行ってパスタを食べたり、帰る方向がやや同じ友人を強引に連れて書店をぶらついてファミレスであれこれ喋って地理的な問題で強引に誘った友人よりも圧倒的に早く帰宅するという客観的に考えて最低な所行をするなどということもしたが、それで確信した。

もしかしたら、おうちに籠もっているだけの状態というのは、良くないことなのかもしれない。

別に活動的なオタクになりたいという気持ちがあるわけではないのだが、どこかしらに出掛けたり、普段あまり会わない友人なり知人なりと会って話すことで自分の精神状態を切り替えるなどといったことはとても重要なことなのかもしれない。

結局、閉じた日々の中に閉じ込められることであらゆるモチベが喪失しているというのはありそうだ。創作を出来る状態はモチベの有無という問題が半分以上占めている問題かもしれないのだとここ最近は思い至っていたりもするし、それを得る手段に対しては貪欲とまではいかなくても、消極的にならないようにしたいと思った。

なんか久々に日記らしい日記を書いた気がする。

買った同人誌たちの感想も載っけていきたいね。読んだら書こうと思う。