Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 12/14(金)の気持ち

推しが夢に出てきた。

端的に言えば、夢に出てきた推しは僕に好意的で、僕は推しとそれなりに良好な関係を築けていた。夢というのは突拍子も無いものだし、状況は大概不明瞭だし、進んでいく展開にきっちりとした筋道などもそうそう無いものだが、まぁ、視点を持つ主観である僕がそう感じたということは、その夢の中ではそうだったということなんだろうと思う。僕は推しと、その夢の中で、良好な関係を築けていたのだ。

僕は起きて、目が覚めてから茫然自失とした。

推しとの関係が夢の中だけの、現実世界の無だったと気付いたからでは無い。

推しと関わりを持ちたい、実際に会って良好な関係を築きたい、みたいな感情を少なからず抱いている自分の深層心理になど気付きたくなかったからだ。

 

さて、そんな大逸れたみたいなことのように書いた先ほどの出来事だが、実はこれが初めてではない。

先日、1週間ほど前だろうか、やはり推しが出てくる夢を見た。

これがまた僕の深層心理のややこしさみたいなものをまた強く表しているのだが、その時の夢では、僕は今回出てきた推し……仮にEさんとしておこう。Eさんとは殆ど接点が無い展開の進み方をした。その時は別の推し……仮にPさんとしておこう。Pさんと僕のやり取りみたいなものがメインになっていて……、まぁ、睡眠誘導の一貫としてPさんにまつわる音声を聴いていて、それが大きなキッカケになったとは思っているのだが、結果的に言えば大変都合が良い内容ではあったものの、大変ほろ苦い終わり方をして僕は目が覚めてから茫然自失とした。

まぁそれはそれとして(そういえばデビルマンMADという文化にまったく触れなくなって久しいのだが、今、Vの者MADってどういう形態になっているのだろうか。著しく話が脱線した)、先週の夢の中ではEさんも登場したものの、僕はEさんとは夢の中で一言も言葉を交わさなかった。僕はPさんにまつわる夢の中での出来事によって目が覚めて即茫然自失としてはいたものの、(あぁ、でもEさんは自分の中で言葉を交わすことが出来ない存在として認識しているんだな……(転じて、Pさんが実際に言葉を交わす出来る存在だと今、表層心理の僕が考えているわけでは一切無いが))みたいなことを思って少し安心するみたいなことはあった。そりゃそうだよな、と。推しという言葉を見てみろよ、と。

「推す」ということがどういう状態を指すのかは個々人の解釈によってそれなりの違いがあるとは思うのだが、僕は「一ファンとして、自分の人格や存在を主張すること無く、推しの活躍を応援ないし支援する状態」だと認識している。僕という存在が重要ではなく、僕はあくまで不特定多数の一部であり、その中で「推している」という状態は何らかの方法で表明しており、ゆえにファンという存在自体が物語っている推しに対する肯定表明の、その一肯定者である、というような感じだ。平たく言うなら、「俺は推しを応援している。電柱の影からそっとな……」みたいな感じだ。

もちろん、これは僕の中でのルールというかスタンスというか、そういうものでしかないので、自分の存在を強くアピールしつつ応援ないし支援するファンたちに対して「それは違うだろ」みたいなことを思ったりするものではない。むしろそれが出来るのはすごいとさえ思っている。僕はどうしても自分が好きなクリエイターなりアーティストなり、そういった方々になるべくなら認知されたくはないと思っているというだけの話で(そのリスクは可能なら減らしていきたい。認知される、という前提が存在しているものとして語ってはいないが)(実際に認知されてしまったことで得られた時間もあるのだが……)、そもそも僕みたいな応援の仕方はクリエイターやアーティストに対して明確な実利が生まれにくい、「まぁ応援してくれるのは嬉しいけども……」みたいなものになりがちだ。応援されるお気持ちではメシは食えないのだな。応援してもらってるだけ……みたいな意見は時たまちらほら見掛けるような気もするが、それは実際に応援してもらっている側が判断なり表明なりすることなので、応援する側がくちに出すべきことではない。

話が逸れたが、まぁそういう感じに思っていたところに降り落ちてきた青天の霹靂というやつだった。

僕は僕の夢の中で、Eさんとそれなりに良好な関係を築き、楽しげに話したりしていたのだから。

 

別にフロイト先生やユング先生、それ以降の研究について全然詳しくはないが、まぁいくら深層心理や夢について無知だからといっても、推しが夢に出てきてそういう感じになっているなら嫌でもわかる。

僕は推しと実際に会って話して、良好な関係を築きたいと思っているらしい。

自分のこの内なる願望が、心底気持ち悪いと僕は思う。

 

もちろん人間は感情の生き物なのだから、そういった願望を抱かずにいることが難しいことはわかっている。そうでなくとも好意的な感情を向ける相手だ。そういった方々と実際に話をする機会が訪れるなら嬉しく思う気持ちは嘘ではないだろうし、その結果、その方々が自分に好印象を抱いてくれるなら嬉しいと思う気持ちも嘘ではない。そこから関係が続いていくなら本当に喜ぶべきことだろう。そういった妄想を繰り広げることが悪いということでもない。自分の頭の中くらいは他者からの非干渉地帯であるべきだし、どのようなことを思ってどんな考えを抱いていたって誰を妨げるものでもないし、妨げられるべきではないと思っている。表明さえしなければ、何を考えても良い。

とはいえ、それは僕のスタンスとぶつかり合う矛盾した願望だ。

別にね、自分の考えが逐一ダブスタっていないことなんてのもそうそう無いわけだし、人間はそれによってシステムエラーも起こさないしむしろ容易に行える思考回路を持っているわけだし、自分の中の、自分にだけ通用する立場と考えの食い違いに気持ち悪いとか気持ち悪くないとかそんなもん心底どうでも良いわって感じだし、これを読んでいるひとがいるとして、そのひとたちにはこんなものを読ませて本当に申し訳無いって思うんだけど、僕はここに懺悔したかった。ので書いた。

こう、自分の中の考えなり感情なりを言語化することで食い止められるものがあると願っているのだ。

推しと仲良くする夢を見るのは自分に対する負荷が強すぎる。

要するにそういうことが言いたかった。

だからこれからそういった夢を見ないようにするために、「推しと自分が関わる夢を見るのはダメだぞ」と自分に強く言い聞かせる目的でこんな記事を書いた。ダメだぞ、きみどり。そもそも立場や考え以前に、単純にめちゃくちゃ虚しいというのはあるよね。めちゃくちゃ虚しかったです。

まぁそういうある種しあわせな夢を見られたんだから、普通に喜んでおけば良いのにね。

こういうめんどくさい人格を形成してしまったがゆえに、頭空っぽにして喜ぶことさえも出来ないのだ。我ながら本当に難儀だな……。