Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 12/27(木)の気持ち

先日とある記事を書いて、結局それは没にしたのだが、どうやらそれで1記事しっかり投稿したというつもりになっていたらしく、いざ管理画面を開いたら当然記事はアップローヨされていなくて驚いた。

なんかこう、あるよね。途中までやって、やり遂げないまま投げ捨てたものって成果物としてはゼロだけど、自分がやったという痕跡なり気持ちなりは残っているから、なんかついつい成果物としてカウントしてしまうやつ。こう、例えばプロの作家の方たちなんかは常に企画書を考えていて、それにゴーサインが出るのか没になるのかはわからんけど、没になったのならその企画書そのものはお蔵入りになってしまうのだから成果物としてはゼロ、みたいな気持ちはひとしおのような気がしている。

僕のこの誰得ブログは別に僕が好きに書いているものだから誰を喜ばせるものでも困らせるものでも無いはずだけど、なんかこう、そういう中途半端というか自分に甘い感じというか、そういうのはちょっとマズイんじゃないかと今思ってこれを書いている。思い付きで書こうと思って速攻没にした短編とかも「や、僕は別にボーッと時間を潰していたわけじゃないですしおすし」みたいな気持ちになる気がしていてこれもいかん。

 

平成……、お前終わるんだな……。

様々なお気持ちが走馬燈のように僕の脳内を駆け巡り、なんかシナプスとかイブプロフェンとかなんか知らんが、そういうのがアレしてこうしてこうなんだという気持ちだ。どんな気持ちだそれわ。

まぁ、来年は頑張りたいという気持ちでいると来年(の進捗)が7月くらいから始まりそうな気がしているので、気を引き締めていきたいですね。

ということで、今日はまた推しについての記事を書いていこうと思っている(先日までまた調子が悪かったのだが{どうでも良いが、調子が悪いのが恒常的過ぎてむしろ調子悪いことを含めて僕の調子は普通なんじゃないかと今思い始めているが}、なんか記事を没にしたりあれこれしたりしたら調子が戻ってきたので文章が走りまくっていて自分でもびっくりしている)。

 

さて、推しについての話をするのだが、まず、これだけは問うておきたい。

 

自分が限界オタクになっているときの状態って皆さんはちゃんと自覚出来ていますか。

 

僕は、出来ている。

 

…………。

 

いや、出来ているというか、せざるを得ないという感じなんだけど、さて、というのも、自分が推しに対しての気持ちの制御を見失いがちなとき特有の行動ってのが僕にはあって、それがなんともしち面倒くさい状態であるので、今、僕は猛烈に困っているという感じなのだな。困っている。そう、困っている状態なのだ。

 

その状態というのも、推しの配信を観なくなる、という状態だ。

 

は……?という感じだと思う。

僕もそう思う。

だが、これは結果なのであって、それまでにあった僕のこころの動きというかなんというか、そういうのをこれからここに綴っていくことでなんかそのこころの動きというかなんというか、そういうのを理解してもらえる一助になるのではないかと思っている。知らんけど。そうであったら嬉しいと思っている。これだな。いや、僕が僕を理解しようと思っている。これですわ。

 

僕は以前、物述有栖さんを応援して、推していた。

もう随分と前のことだ。2回目とか3回目の配信くらいかな。どういう前情報が僕に届いて物述氏(普段の僕の呼び方で呼ばせていただく)の配信を観るようになったのかイマイチ記憶が定かではないが、3月くらいの話かな。にじさんじ2期生がデビューした当時はまさに企業系のVの者(配信メインのライバーの方々についてだ)の黎明期という感じで、今のような次から次に新しいVの者がデビューしては時たま引退、卒業、解散などが行われてしまうというような状況でも無く、まだ新しい情報をチェックしつつ今までの情報を継続して追うなどといったことが出来るような状況だったように記憶している。

いやぁ、それからもう9ヶ月も経ってるんですねぇ……という感じだけど、そんな感じでにじさんじ2期生。その当初、詩子お姉さんがその話題性を掻っ攫って、顎がやべぇという話も聞きつつ、いやぁにじさんじというのはやはりオモシロタレント事務所なのだなぁという印象を多くの方々が抱いたとは思うのだが、そんな中にぽつんといたどう見てもロリにしか見えない自称JKである彼女の配信を観たとき、己の脳髄に電撃が落ちる様を痛烈に自覚した方々はそれなりの人数がいたのではないかと思われる。

 

少なくとも、僕の脳髄に電撃は落ちた。

物述プロと呼ばれることも多い彼女は、初配信から物述プロだったのだが、その2回目か3回目の配信を観た瞬間に、僕は彼女を推していくことを決めた。

それからについては特に語ることも無いので割愛させていただくが(これは僕の状態について語ることが無いということであり、物述氏の配信内容についてなどは改めて僕が語ることでもないということだ)、それは物述氏がバイノーラルマイクを入手して、それを使用した配信を行うという告知を出した時に起きた。

僕はその配信をめちゃくちゃ観たいと思った。

当然だ。めちゃくちゃ声が良くてリスナーの要求になんとか応えようと背伸びして頑張っている彼女が(それは本当に時たま空回りしてしまって、そこもまた応援したくなる要因になっているのだが)、リスナーがガンガンに己の欲求をチャット欄に発露してくるバイノーラル配信を行ったとき、また頑張りすぎてしまうという心配もあるものの、やはりそれを聴きたいという自分の根源的欲求から目を背けることは出来ず、ゆえにそれは絶対に聴かなければならないものであり、そう思うこの気持ちは至極当然で、かつ自然的なものであることは。どう考えても自明だったからだ。何より、物述氏が右耳左耳を縦横無尽に動いて時折囁いたりその吐息だったりがめちゃくちゃ脳に良いのもまた自明だ。聴く前から僕にはわかっていた。

が、僕は終ぞその配信を開くことが出来ず、かつアーカイブも観れなかった。冒頭2分くらいは聴いたような覚えもあるが、そこから先を聴くことは出来なかった。

 

僕の中の気持ちが限界を迎えてしまったのだ。

僕は限界オタクになった。

俗に言う、推しが尊すぎて直視出来ない状態へと移行してしまったのだ。

それを聴くことは己の根源的欲求とかなんかそういうものを満たすためにはとても必要なことなのだが、それを聴くことで訪れるだろう、とても言葉では言い表せないような心理状態に直面することが恐ろしくて仕方が無かったのだな。

 

何回か書いたような覚えもあるが、僕はとても誠実なリスナーと呼べるリスナーではない。というのも、僕はチャット欄に張り付いて配信を盛り上げたいとは思っていないし、むしろ自分のその時々の感情をダダ漏らして打ったチャットがまかり間違って推しに読まれてしまうなんて事態は絶対に避けなければならないと思っているし、それで推しの気分を害してしまう可能性ももちろん完全排除しなければならないし、だからスーパーチャットを送るなんてことは僕の応援活動においてはとても出来うるものではないし、そういう感じなので、ソッと高評価ボタンを押してニヤニヤしながら不特定多数に紛れて配信を観ているというようなことしか出来ないリスナーなのだな、僕は。

別に僕はガチ恋をしたいわけではない。し、するはずが無いとも思っている。ガチ恋をするという状態がどういう状態なのかも正直よくわからない。実らない恋に意味があるとかどうとかそういう議論をしたいわけではなく……、なんだろう。その隙だらけの、自分の本能的欲求を制御出来ずにダダ漏らしている状態は、果たして恐怖を抱かずにいられる状態なのかと思ってしまうのだな。

あれが欲しいとかこのひとが好きだとか、そういう気持ちを本能的に抱いてしまう瞬間というのは確かにあるし、覚えもある。だが、それは大方の場合本当に、一過性のまやかしの気持ちだ。三日三晩必死に考えて、それでもその気持ちを維持出来ているのならその気持ちはホンモノなのかもしれないが(僕は何かが猛烈に欲しくなったときにこの方法をリトマス紙代わりにする)、しかし、それが仮に本当のホンモノであった場合、推しという存在を応援するに当たって、その気持ちは果たして自分以外に(最終的には自分にも)プラスに働いてくれるのだろうかと、僕はどうしても考えてしまう。

別に個人の気持ちなのだから好きにすれば良いとは思うので、これは僕の個人的な考えに過ぎない。「俺はガチでガチ恋してるんだからお前にとやかく言われる覚えは無い」と言われてしまえば、お好きにどうぞ、としか言えない。色々思うところはあるが、前述もした通り、個人の気持ちだ。別に僕は彼らに忠告がしたいわけでも、ましてや説法を説きたいわけでもない。僕のスタンスの問題だ。

僕の気持ちが危うくなる事態は、なるべくなら避けたいのだな。

何も恋愛感情だけが危ないと言っているわけではない。後方プロデューサー面だって後方父親面だってある種の一線を越えてしまう危険性は孕んでいる。推しに対する(それは推しを内包する環境でもある)攻撃性に転じてしまうという危険性だ(だから周防パトラさんのASMR配信に対する気持ちの記事を書いた後に猛烈に自己嫌悪した)。

そういう危険性についてしっかり考えているにせよ何となく察知してしまったにせよ、まぁなんか当時の僕には思うところがあったのだろう。結局それ以降、物述氏の配信を観ることは出来ずにいる。それでも推しと呼ぶことなど出来るはずもないので、推しとは呼べなくなった。なので先日、周防パトラさんの配信に物述氏がお呼ばれして久しぶりに長尺で喋っているのを聴いて(因果……)と思ったりもしたのだが、話が逸れてしまうのでその話は割愛させて頂く。

 

さて、今、僕は蒼月エリさんの配信を、正確にはそのおうた配信を観れないでいる。

じゃかじゃか路上ライブ配信だ。

僕はこれをリアルタイムで聴くことがかなわなかったのだが、このアーカイブを聴くのを本当に楽しみにしていたし、今も楽しみにしている。

が、観れないのだ。

前述した要因にプラスして、コンテンツ消費加速度、という要因についても、ここ最近、僕はことさら注意深く考えるようにしている。

誠実なリスナーではないという話を前述したが、それに拍車を掛ける要因がもう一つあって、それは僕がめちゃくちゃ飽きっぽいというものだ。

こう、好きなものは分別無くめちゃくちゃ極端に摂取してしまう。食べ物にせよ、Vの者にせよ。特に歌や曲なんかは1曲リピートを延々続けたりして200回300回と連続で聴いてしまうことで急速にそれを消費してしまうことが多くて、マジで自分のそういった極端性とでも言うのだろうか、そういう性質に辟易してきたという経験が何度もあるのだな。

こう、蒼月エリさんのお歌に関して、僕は一つの考えを持っている。

僕の中の特別にしておきたいのだ。

それは決して有り触れたモノではない。僕が本当に困ったり落ち込んだり、……まぁメンタルがヘラヘラしやすい性質でもあるけれど、なんかそういう状態のときとか、むしろまったく真逆の、……あんまり無いけれど、今めっちゃ調子が良くてその気持ちを加速させたい、みたいな時に聴くことで、どちらの状態にせよ自分の気持ちを真上に向けるためのものにしたい、という思いがあるのだな。Vの者の話からは逸れるが、そういう時に自分に処方しようと思っている特別な小説というのが僕にはある。大切にしたいモノだ。

だが、ものを大切にし過ぎる状態というのはどういう状況を引き起こすものなのか。大事にしている宝物は、自分の手が容易に触れられる場所に置いておくだろうか。自分の手垢が付いたり、埃が被ったり、劣化したり風化してしまうような扱いをするだろうか。

触れられなくなってしまうんですねぇ……。

大事にし過ぎたり特別視し過ぎたりすることは、決して美徳ではないと僕は思っている。配信を観れなくなったり、買ったまま読めない本として積まれることになる僕の経験から、心底そう思う。ここから本当にタイミングを見失って物述氏のバイノーラル配信のように、消費出来ないまま応援活動からも遠ざかってしまうような気がして、それがとても恐ろしいことのように思えてきたので、今回こういった記事を書こうとしたワケだ。

 

この記事を書いている途中に、朝エリの配信が行われていた。

僕は朝エリだけはなるべく観ているのだが、これは普通に観れた。今年最後の朝エリということで少し長めに行われた配信を観てこの記事をほったらかしにしてゲラゲラ笑いながら楽しい時間を過ごしたわけだが、それと弾き語りおうた配信は僕の中で明確に分けられていることを改めて痛感して、だから観れない。

推しについて語っていた蒼月エリさんの配信も、先日……、結構前にありましたね。推しが推しについて語るのをじっと見守る配信という脳が極めて混乱する視聴体験は、それはそれで楽しかったという思いもあるが、エリさんの語る推し観というか、推し事というか、それには共感出来る部分も結構あって、ゆえに脳が混乱している。

ここ数日ハチャメチャに生活リズムがぶっ壊れてハニスト全体の配信もあまり観れてはいなかったのだけど、なんかこう、ハニーストラップというグループについて、適切な距離感を改めて探っていきたいと思ったのだった。

応援しているVの者の配信を観れない状況というのも、他人からすれば「観れば良いじゃん」の一言で片付くことかもしれないけど、そう簡単なものではなく……、いや、簡単な問題なんだけど、とにもかくにも、つらいんだよね。自己憐憫丸出しで恥ずかしいんだけど。

 

またこんなくだらない記事を書くことで結構な時間を使ってしまったが、来年の始まりが7月にならないためにも、僕がやるべきこともしっかりやっていきたいという思いもありますからね……。

平成……、お前終わるんだな……。

なんかこう、ままならねぇなぁ……。