2018 12/30(日)の、2018年最後の気持ち
今年最後の気持ちを書いておく。
2018年、色々あったように思うが、あまり何も無かったような覚えもある。
Vの者を追いまくった1年だった。3月から、9月くらいまでだろうか。
結局、色々な紆余曲折を経てハニーストラップに落ち着いたわけだが、彼女たちの存在を知れたという結果だけを見るなら、悪くなかった時間のようにも思う。
お世辞にもやりたいことに専念出来た1年では無かったが、単調な日々を彩り豊かに変えることは難しい。自分の人生が彩り豊かで無くとも、ただ死んでいないだけの時間を過ごしているだけでも、彼女たちの目覚ましい活躍を観ているだけで、何となく自分も頑張ろうと思える気もする。他者に人生を仮託、依存する危険性については思いを馳せてしまうが、まぁ、充電期間中だと割り切ることも大事なのかもしれない。無為に過ごしてしまった時間は取り戻せない。過去ばかり見ていても、これからのことは何も変わらない、変えられない。
2016年の11月、第23回電撃大賞の選評が届いてから、僕の人生は停滞している。いや、ほぼほぼ止まっていると言っても過言ではない。
僕を取り巻く環境に満足しているわけではない。
何も満足はしていない。まだ僕が大学生だったとき、僕はプロの作家になろうという気持ちを抱いた。その時、僕は漠然と思っていたはずだ。絶対にプロ作家になれるだろうと。技術も思考も教養も無いのによくそんな大逸れたことが考えられたと、冷静さを装った僕は当時の僕に対して他人事のように思うが、現状、僕は未だプロ作家にはなれておらず、小説を書くことにある種の恐怖を抱くほど状態は後退している。
ただ当たり前のように小説を書けていた僕は、ここにはいない。何もかもが懐かしい。そういえば僕が初めて書いた長編小説(書くのに半年掛かった、文庫本190ページほどの中身の無い小説だ)を送ったのも電撃大賞だった。それから7年、本当に色々なことがあったように思うし、やはり何も無かったようにも思うが、人生を停滞させるために小説を書いてきた、書けなくなってしまった、というようなことを思うのはさすがにしんどい。結果論が全てではないが、結果は恐らく、何よりも大事だ。
そろそろ停滞した人生を、何らかの方法で動かさなければならないと思っている。し、それは当然思い続けてきたことでもある。
『生きるためには働かなければならないし、好きな仕事をするためには努力をしなければいけない。』
僕の大事にしている小説の1文だ。
これをするために、そろそろ自分自身を再起動させなければならない。
あまり1年を総括したり、来年の抱負を掲げたり、そういうのは好きじゃない。
総括はともかく、抱負だったり、やりたいことだったり、そういうことを並べてもあまり意味が無いような気がしている。やるか、やらないか、なのだとは思っている。思っているから出来るという話ではないが、まぁ、別に掲げるような目標だったり抱負だったりなんてものも一つしか無いので、それをやっていこうと思う。
強いて言うなら一つ。
小説を書くことは、たぶん、そんなに怖いことではない。
2019年、楽しく忙しい1年にしていきたいぜ。
絶対にしていこうな。
タイトルが2019になってたので直しました。気が早すぎました。オリンピック始まるやんけ!!