Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

あの日いただいた大切なものについて

 

ガーデン・ロスト (メディアワークス文庫)

ガーデン・ロスト (メディアワークス文庫)

 

 

これは2012年8月12日のことだった。

東京ビッグサイトで行われたコミックマーケット82の3日目に、僕は知人のサークルのお手伝いとして参加した。巡り合わせというか持つべきものは友というか、思い返してみれば僕はコミケに一般参加として待機列に並んだ記憶があまり無い。ということは、この日もチケットで入場させていただいたのだろう。

僕はこの日、コミケに参加した。非常に不義理な話ではあるのだが、サークルのお手伝いよりもっと重要な目的があって、僕はこの日を迎えた。

お手伝いしたサークルは、俗に言うお誕生日席という場所に配置されていた。区分けされた島の中でも大きな通りに面した、まぁ結構目立つ場所だ。

その向かい側のスペースだった。

そこで、僕が尊敬する紅玉いづき先生が、同人誌を配布されていた。

 

紅玉いづき先生の作品との出会いは、恐らく『19 ―ナインティーン―』というメディアワークス文庫から発刊されたアンソロジーだったように記憶している。

『2Bの黒髪』という作品だ。

どこかにこのエピソードを書いた覚えがあったのだが、確認してみたらこのブログだった。何度も語りたいエピソードなのだろうかと自分に問い掛けてみたが、まぁ好きな作品はオススメしたいものだろうなとは思う。ともかく、その鮮烈な読後の後に冒頭に貼った(このリンクを貼るのも2回目だ)『ガーデン・ロスト』と出会い、僕は先生の作品の虜になった。少女小説という括りになるのだろうか。出会いが出会いだったから、僕は特に、先生が書かれる少女たちが主人公の、現代~近未来を舞台にした小説が好きだ。少し趣は異なるが『サエズリ図書館のワルツさん』も好きだし、『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』はド直球で、これは大事な時に読み返す小説として大事にしている。もちろん『人食い三部作』も外せないが、僕個人の思い入れという意味では、先に挙げた作品たちの方が強いものがある。

 

小説を読む上で重要視しているものが個々人で異なる点については言うまでも無い。

奇抜な世界観だったり、凝ったギミックだったり、人間関係や人間模様だったり、その中でもSFやミステリ、歴史小説架空戦記、もっと大雑把に現代日本を舞台にしたものやファンタジーなど。まぁ、色々ある。僕はミステリ以外は基本的にはなんでも読もうと思っている読者だ。最近はラノベに偏ってしまっているが、これは精神的ハードルが大いに関わっていることだと思うので、調子が良いときでないとそれ以外を手に取るのが難しい傾向にあることはなんとなく自覚している。

僕が最重要視しているのは、人間の感情だ。

それが深刻に書かれているものであればジャンルは問わない。ミステリを好んで読まないのはこの辺が理由になっているような気がする。僕が認識しているミステリは、人間の心理を重要視しない。殺人ありきで、トリックありきという認識だ。まぁ「ミステリは読まないよ」と言いながら、ちゃんと読書するようになったのは、高校生の時に出会った西尾維新先生の『戯言シリーズ』だったりするのでつくづく自分の好みなんてアテにならねぇなとは思うのだが(このシリーズをミステリと括ってしまうことには若干の抵抗感もあるが)、ともかく、僕はそれを一番大事にしているし、一番大事にして欲しいと思っている。

一番大事にしていることが明白だったから、僕は『ガーデン・ロスト』が好きなのだろう。連作短編の最終章表題作『ガーデン・ロスト』は、本当に深刻にそれが描かれている。し、なんだろう、途轍もない切実さを筆致から感じた。僕にはこれっぽっちも馴染みの無かった世界の話なのだが、だから強烈に胸を打たれたことを覚えているし、今でも読み返して胸が苦しくなる思いがある。

総じてそういう作品に弱い。先日読んだ『りゅうおうのおしごと!』の3巻なんかは本当に読んでいて苦しかった。

なんかこう書くと苦しくなることを求めてるヘンな欲求を持った読者みたいに思われるかもしれないが、それほどの没入体験を得たいのだという話だ。好きか嫌いかに関わらず、それくらい僕のこころを掻き乱してくれるようなちからを持つ作品でなければ満足は出来ない。そう、満足したいのだ。数年前まで深刻だったバッドエンド症候群が最近改善し始めて、逆にハッピーエンド至上主義みたいになり始めてこれはこれで不味いのではと思いながらも、まぁ納得出来る終わりや納得出来ない終わりなどなど色々あるが、どちらにせよ、強烈な感情の振れ幅を僕に追体験させて欲しいという話だ。その1点を、僕はそれほど長くはない読書歴、執筆歴の中で、ずっと追い求め続けている。

 

と、まぁそういう経緯があって(どういう経緯だ?)、僕は鞄の中に『ガーデン・ロスト』を忍ばせてコミケに参加した。

非常に浅ましい気持ちであることは重々承知しているのだが、あわよくばサインを頂こうという魂胆だったのだ。尊敬する先生の作品に、尊敬する先生のサインを目の前で書いてもらうなんて、そうそうしてもらえることではないという認識があった。サイン本が店に並んでいることはままあるが、あらかじめサインしてもらった本を買うのとは違う格別さだ。僕はイベントなどに足を運びまくるアクティブな人間でもない。

何より、紅玉先生はブログやツイッターで、それが最後のサークル参加だと告知していた。

この機会を逃すわけにはいかないという思いがあった。だからお手伝いもそこそこに、僕はじっと機会を窺いつつ、ずっと賑わっていた先生のスペースからそこそこひとがはけたタイミングを狙って、ついに『ガーデン・ロスト』と財布を持って先生のスペースに向かった。

 

そこからの記憶は、少々曖昧だ。

僕はメンタルが弱いので、緊張するシチュエーションに本当に弱いのだが、それにしてもあそこまで緊張するとは自分でも思わなかった。

売り子のお姉さんに心配されるくらい身体が震えた。ガクガク震えた。同人誌を買って、あまり大っぴらに列を作ったりしないでと軽く注意されて(サイン会ではないのだから当然だ)、それから僕の番になって、先生と少しだけ言葉を交わすことが出来て、サインを書いてもらって、そのときに僕の名前を書いてもらえることになったのでペンネームを伝えたら、僕が当時あまりにもツイッターで先生の本のことをぺちゃくちゃ呟いていたせいというかお陰というか、なぜか先生から認知されていて、僕がプロを目指して小説を書いていることもご存じで、握手していただいて、応援の言葉とともに背を押していただいて(本当に背中を押してもらった)、それから僕は朦朧としながら喫煙所に行ったのだが、思い返してみると……、うん、結構覚えてる。それから先の記憶は本当に無い。

「絶対に報われますよ」と、確かそう言っていただいた覚えがある。

僕は本当に、本当に本当に感激して、そうして5年が経った。

 

僕はそれから何度かラノベの賞に応募した。

万年1次落選ワナビだったのだが、某賞でいきなり最終選考まで進み、その次に某賞でそれなりのところまで進んだものの、結局両方とも落選した。

それから僕の精神は低迷し、今、こうしてこの記事を書いている。

 

この記憶をこれ以上劣化させないためと、このときのことを鮮明に思い出したかったからだ。

本当にプロになりたいのなら、精神を低迷させている場合ではないことなどわかっている。決して選考で落ちるために小説を書いているわけではないが、まぁ十中八九は落ちる。自分の考える「面白い」が届かないのだ。それは技術的な問題かもしれない。好みの問題であるかもしれない。自分の思考が狭いのかもしれない。書いた小説に対する思い入れが浅いのかもしれない。まぁ、色々考えられる。色々考えられるが、書かなければ始まらないことは言うまでもない。僕は現状書けていない。書いている小説は幾つかあるが、どれも書きかけのまま止まっている。精神がストップを掛けてくる。言い訳かもしれない。まぁ、言い訳だろう。作品が面白い面白くない以前に、書いているひとが正義で、書いていないひとが悪なのだから、そこに言い訳を挟む余地は本来無い。それはわかっている。わかっているから、何とかしようとしている。精神を上向かせるための手段を渋っている場合ではないと思ったから、この記事を書こうとした。これは僕のとびきりの記憶だ。この記憶を掘り起こして記述した先に、かつてのようにがむしゃらに書けていた僕がいるのであれば、そこに手を伸ばしたいと思った。絶対に報われたいと思ったのだ。だって、絶対に報われたいじゃん。絶対に、報われたいよ。

というようなことです。

まずは気持ちを上向けることにがむしゃらになりたい。単調な日々の中でモチベーションを保つ術を思い出したい。

頑張りたいですね。頑張りますよ。なんかそういう気持ちになれてきた気がするし、これを一過性の気持ちで終わらせないよう維持していきたいよ、本当に。

 

 

これは余談なのだけど、その少し後に先生がインタビューというか、コラム的なものを文芸誌に書かれていたのを読んだ。

そのときの僕は金欠で、今その雑誌を買わなかったことを本当に後悔しているのだけど、それは立ち読みして、そこに書かれていたことは今でも覚えている。

握手した人間の才能の有無がわかる、と、先生は仰っていた。

これは、本当にダメージが大きい話だった。

 

創作者というのは難儀なもので、自分には才能があると思っているし、無いとも思っている、そういうジレンマを抱えた生き物であると僕は認識している。まぁ色々なひとがいるので、全員が全員そうであるとは思わないけど、才能があると思っているから創作をやめられないし、才能が無いと思っているから創作を続けてしまうような側面はあるんじゃないのかなって、そういう感じの認識だ。特にアマチュアの創作家は。

いやぁね、あのとき握手をしていただいて、そのとき何を思われていたのかしら。

考えても詮無いことだし、「才能が無いよ」って言われたからやめるかって言われたらそんなことは絶対に無いし、僕のことは僕が決めるし、まぁ才能に溢れてるならとっくにプロになれているんじゃないかとかそういうあれこれはまぁアレとしても。

うん。

頑張りたいですね。この一言に尽きてしまうんだよね、結局。

頑張っていこうと思う。

挫けてしまうことが多い日々をおくっているけれど、だらけることが本当に得意な性格をしているけれど、頑張らなかったら生きてる意味が無いよね。少なくとも僕はそう思う。