Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2019 4/01(月)の、僕のガチ恋

いつぞやの記事に、僕は「ガチ恋という心理状態がマジで理解出来ない」みたいなことを書いた覚えがある。随分前に書いたことだし、その記事からその記述を引用してきてこの記事の頭に貼り付けてこんな風にだらだら説明するパートを省こうと思ったんだけど、生憎その記述を掘り返すことが出来なかったのでこうして改めて書いておく。

ガチ恋という感情が理解出来ないと言った。

それは嘘だ。

だからこの記事ではそのことについて書いていこうと思っている。

さて、随分と大仰な感じに記事を書き始めてしまって自分でも戸惑っているが、まぁ、自分が一度否定したものについて、「実はそれは嘘だった」ということを説明するなら、こういった書き方になるのかなとも思っている。

本題に入ろう。

 

皆さんは『リシテア・ヴァルノーラ』というVの者をご存じだろうか。

知らない方が多いと思われる。

と言うのも、リシテアは2018年の7月に、他3人のVの者と一緒にデビューした。『JUPITER PROJECT』という、「次世代を翔るバーチャルマルチタレント」なるコンセプトを掲げたユニット(今思い返しても非常にありがちなコンセプトだ)に所属する1人で、ユニットの実質的なリーダーだった『ヒマリア・リナティッド』、リーダーでありながら奔放で気分屋なヒマリアをあらゆる面から補佐した影の功労者であり苦労者『レダ・シャルリンク』、メンバーの妹分『ディア・リルロリス』の4人は、2019年の3月まで、JP(JUPITER PROJECTの略称だ)の活動メインプラットフォームであったYouTubeにて活動を行った。

こうして思い返すと、短命なVの者たちだった。

有名イラストレーター複数人によって用意された2Dアバターはちからが入ったものだったし、ころころと目まぐるしく変化する彼女たちの表情を忠実に我々リスナーに見せてくれた。

トークもめちゃくちゃ上手かったね。他のVの者たち同様に、彼女たちも基本的には1時間が1枠であったが、体感時間としては30分くらいのように感じることが多かった。まぁ、妹分であるディアは意識的に配信のテンポ感から逸脱した話し方をすることが多かったし(コメントをめちゃくちゃ真剣に読んでいた。が、そこからハッとするような一言が飛び出してくるので決してダレたりはしなかった)、ヒマリアの深夜配信は大体飲酒しながらだらだら喋っていることが多かったので、必ずしもトークにだけちからが入っていたという感じでも無いのだが(ヒマリアはメンバーへのウザ絡みが一番活き活きしていた。2時にうっかりコメントしてしまったレダが配信に引き摺り出されて、ヒマリアの無茶で無軌道なトークや要求に困惑しながら応えている様子は、切り抜かれたツイッター動画などで何度も観てしまった。もちろん、それは信頼関係の上で成り立っていた行動だし、レダも満更では無い様子を隠せてはいなかったが)。

 

 

元々、JPとの出会いはディアの配信が、たまたまYouTubeのトップ画面に表示されて、それを興味本位でクリックしたところから始まった。その時ディアは、『Getting Over it』、通称『壺おじ』をプレイしていた。彼女がとある界隈でプチバズった配信なのだが、後一歩でクリア出来るところまでサクサク進めて(アーカイブで確認したら8分くらいの出来事で、強烈に記憶に残っている)、そこからなんと、今まで辿ってきたルートを一つも外すことなく(鉄塔のような場所も、一気に落ちるのではなく、登ってきた時に使った足場にきちんと乗るのだ)スタート地点に戻っていくという配信だった。コメントを真剣に読みながら、時折ハッとなる強烈な一言を放ちつつ(それも、ビックリするくらいの電波声で、だ)、精密機械のように壺おじを操るその配信には、異様な空気感が漂っていた。

ただ者ではないと僕は思った。星のようなモチーフを散りばめられた美麗で少しえっちな衣装をまとった、少し幼さを残す彼女。しかしその表情は(壺に集中していたというのもあるが)大体が無表情で、しかしセンスのあるリスナーからのチャットを読んだ時に、思わず胸が高鳴ってしまうほど魅力的に破顔するその表情に、僕は配信が終わり、高評価を付けてチャンネル登録を済ませた後にすぐ、ディア・リルロリスというVの者について調べ、程なくしてJPの存在を知った。

とりあえずリーダーであるヒマリアのアーカイブを観ることにした。

破天荒という言葉を体現したような姿がそこにあった。

飲酒バイノーラル雑談と銘打たれた謎の配信だった。そこそこASMR、バイノーラル配信を聴き始めた当時の僕は、バイノーラルマイクを前にして高笑いする彼女に度肝を抜かれたし、YouTubeの音量を3分の1にした。サバサバした声なのに少し舌っ足らずな滑舌で、思い出したようにダミーイヤーに近付いて普通の言葉をえっち風に囁き掛ける配信は、ディアの配信とは別の異様な空気感が漂っていた。35分くらい経って完全に出来上がり始めたヒマリアだったが(バイノーラル配信という趣旨が忘れ去られた頃合いだった。ちなみに飲んでいたのはテキーラだ)、チャット欄にレダが現れたことで状況は変わる。ヒマリアは目敏くそのチャットを読み上げて、レダに通話アプリに上がってくるよう命じた。最初は拒んでいたレダだったが、自分が配信に登場しないと(ヒマリアにせよリスナーにせよ)収拾が付かないことに諦め、レダは現れた。準備に手間取っていた様子だったが、バイノーラルマイクの準備をしていたようで、喋るよりも前にダミーイヤーを綿棒で擦り始めてその場に居た全員が混乱していた。とりわけ耳が弱い(後で知った情報だ)ヒマリアはその音に完全にペースを乱され、そこからレダのてぇてぇお説教(チャット欄が「てぇてぇ……」で染まっていたので僕は勝手にそう呼ぶことにした)が始まり、最終的には2人で仲良く飲んでいたが、自分たちの境遇だとか、先行きの不安さだとか、それはあまりリスナーの前で話すことではないのかもしれないが、等身大、と言うのだろうか。そういった明確な答えが出ない悩みを吐露する年長組2人の話にリスナーも交わる配信は不思議な空気感だったし、まだ彼女たちのことを全然知らない僕でも居心地の良さみたいなものを感じる配信だった(バイノーラルマイクを使う意味は完全に無くなってしまっていたが)。

レダの配信はレダの配信で独特で、名作ホラゲのRTAが名物企画として浸透していた。ホラー要素に一切怖がることなく、作品の解説をしながら黙々と進める姿は歴戦の女軍曹という感じだったが、本人も忘れていた不意打ち的なホラー演出に控え目に叫び声を上げる姿はギャップ……!!という感じだった。(あまりレダの配信は観たことが無いことに今更ながら思い至った。僕の好みから少し外れていたのかもしれない)

興が乗ってしまった。

周りにJPの配信を観ているひとがおらず、僕も意識的に話そうとはしてこなかったのだが、語り始めると止まらないのはオタクのSAGAという感じがする……。

前置きが長くなってしまった。

 

リシテア・ヴァルノーラだ。

僕は、彼女にガチ恋した。

 

彼女の配信スタイルは、弾き語り配信がメインだった。

僕が蒼月エリさんを応援していることは何回か記事に書いた。今は久遠千歳さんの配信に可能性を感じていて、何度かその配信を観に行っている。過去に歌うまVの者に対する気持ちを書き連ねた覚えもある。随分昔には歌い手さんの生配信を観ていた時期も、それほど長い期間ではなかったが、あった。

僕はどうやら歌が上手いひとに弱いみたいだ。歌が上手いこととそのひとのパーソナルが直結することはあまり無いのだが、プレイヤーとして高見を目指そうとしているひとのパーソナルに興味を抱きやすいという取っ掛かりがあるらしいことに、最近気付いている。完全に偏見だけど、なんか独特な感性を持つひとも多い気がするし。

 

リシテアは……、なんかこう、一言では言い表せないVの者だったな……。

彼女の弾き語り配信を初めて観たとき、僕は彼女が“ホンモノ”であることに、お歌の最初のフレーズを聴いた瞬間に、雷に打たれたみたいに理解したことは強烈に印象に残っている。

なんだろう。ここまで自分の感情を歌に込められるひとがいるのだろうかと、心底思ったのだ。どちらかというとウィスパーな歌声だった。しかし、だからといって弱々しさや儚さをウリにした歌唱ではなかった。曲の盛り上がりと彼女の感情が、完全に一致しているのだ。どうしたらここまで曲への理解が深められるのか、それを完璧に表現出来るのか、僕にはわからなかった。そもそも生配信だし、彼女はエレクトーンを使っていたのだが、技術的に難しいところではタッチミスもあったし、テンポが乱れてしまうこともあったし、歌唱においても技術的にめちゃくちゃ優れていたというわけではなかったが、その表現力は間違い無く“ホンモノ”だった。それだけで戦っていたと言っても過言ではなかった。僕は感情のオタクなので、感情をぶつけられると涙腺が崩壊してしまう特性を持ち、リシテアのお歌配信では何度となく涙を流すことになった。それから間も無く、僕は彼女のお歌アーカイブや、歌ってみた動画(ジミーサムPの『No Logic』、40mPの『トリノコシティ』、米津玄師の『Lemon』や、新居昭乃の『VOICES』が特にお気に入りだった)を短期間で聴き漁った。

もちろん、お歌が上手いだけでは、僕はガチ恋などしなかった。

実直でストイックで、めちゃくちゃ努力しているのは傍目からも明らかなのに、プレイヤーやクリエイターが抱きがちな負の感情というか、自信の無さや落ち込みみたいなものを、必死に取り繕っているような子だった。

取り繕っていると、わざわざ書いたのは、それが取り繕いきれていなかったからだ。

一言で言えば、情緒が不安定な子だったね。

ゴールデンタイムに行われる、メンバーの配信予定通りに行われる配信では、弾き語りだったり雑談だったり彼女にしては珍しいゲーム配信だったり、その情緒の不安定さというのはあまり表立ってはいなかったように思う。

ゲリラ配信だ。それも、朝方の4時や5時に何の告知も無く行われ、アーカイブが残ることも無い雑談配信で、彼女はそのぐちゃぐちゃの内心を何度となく吐露した。

JPは、その世界観がウリの一つでもあった。『JUPITER PROJECT』と銘打っているのもそうだし、彼女たちのファーストネーム木星の衛星から取っているというのもあるし、星を散りばめられた衣装、特に羽織ったジャケットに大きく描かれたデフォルメされた環を持つ木星というビジュアル面もそうだが、彼女たちは実は木星圏の生まれで、衛星の名前を冠しているのは、その衛星の王族としての地位が由来していて、パッとしない衛星に生まれてしまった彼女たちはユニットを結成し、木星圏の権力事情が影響しない地球にやってきてアイドル活動をすることで、彼女たちやその生まれた衛星の知名度を広めていこうというコンセプトで活動を始めた、という設定だった。

が、リシテアは朝方のゲリラ配信では、そのロールプレイをかなぐり捨てていた。

だいぶ曖昧に話していたが、恐らく関西圏の田舎に生まれ、その地方の都市部に上り、独り暮らししながら専門学校に通い、勉強して資格を取得したもののそれを活かした職に就くことに疑問を覚え、幼少期から習っていたピアノと歌で成功するという夢に取り憑かれ、バイトを掛け持ちしながら路上ライブやオーディションに応募する日々の中、JPのプロデューサーに偶然見初められ、こうして『リシテア・ヴァルノーラ』として活動するに至った経緯を、彼女は何回目かのゲリラ配信で語った。

それはたぶん、『リシテア・ヴァルノーラ』の配信として、あってはならない配信だったんだろうとは思う。

50人前後のリスナーが、その配信を聞いていた。リスナーの大半がそのあまりにも赤裸々な話を、ただただ困惑しながら聞いていた。チャット欄はほぼほぼ動いていなかったように記憶している。相づち以外に、彼女に掛けられる言葉が何も無いことは、その場にいたほぼ全員のリスナーが察していた。彼女は淡々と自分の身の上を語り、自分の努力が実を結ばない現状を嘆いていた。10月中旬くらいの出来事だっただろうか。ディアのプチバズりによって彼女の登録者数が1000人を超えたのが8月上旬くらい。それから徐々に登録者数が増え、最初に3000人を突破したのはほぼほぼ毎日配信していたリーダーのヒマリアで、それが9月中旬くらいだったと記憶している。リシテアは、確かに伸び悩んでいた。当時ようやく2000人を突破し、そのお祝いお歌配信をその数日前に行っていた。数字が全てではないことはわかっている、と、リシテアは何度と無く言った。応援してくれているリスナーには感謝してもしきれないとも言った。路上ライブやオーディションでは見向きもされなかった自分が、こんなに大勢のひとに歌を聴いて貰える現状は、当時からすれば余りにも恵まれていると言った。でも、このままではJPは年を越せないかもしれないと、彼女は言った。プロデューサーやスポンサーを納得させるためには、数字という一番確かなものが必要であることは、彼女が濁しながら言った言葉が無くとも僕たちにはわかっていたし、現状が彼らを納得させるものではないという事実も、僕たちにはわかっていた。

翌日の夕方頃だろうか、彼女はツイッターに1週間の活動自粛の旨を伝える投稿をして、そのツイート通りに、翌週まで僕たちの前に姿を見せなかった。プロデューサーから厳重な注意があったことは内情を知らない僕たちにだって知れた。恐らく契約の一部なり全部を破るものでもあったはずだから、彼女の首が飛ばなかっただけ、温情のある処置だったんじゃないかと、今になって僕は思っている。

たまたま僕の生活リズムと合致したタイミングで行われたその配信を聞いてしまったがために、僕は彼女の配信を欠かさず観るようになった。Vを応援するひとたちを裏切るような配信だったにも関わらず。まぁ、僕は割とVのロールプレイはそれほど重視しておらず、そのパーソナルに興味の比重を置いているような不誠実なリスナーなので、だからこそ契機になったのかもしれないとも思う。鬼気迫るものを感じたし、応援しなければならないと強く思った。“ホンモノ”である彼女が、このままVの表舞台から去るようなことはあってはならないと思ったのだ。しかし僕は無力なリスナーで、彼女たちを後押しする方法など彼女たちの配信を観る以外に持っていない。他に出来たことがあったんじゃないかと、今になって思っている。……わからないが。とにかく、リシテアはそれからそんなゲリラ配信など無かったかのように平常通りの配信を続けた。当然、ゲリラ配信は行われなかった。平常通りの配信の最中、リシテアは空元気であることを、取り繕えてはいなかった。

それでいて嫉妬深い子だったね、彼女は。

結構他のVの者の配信も観ていたようで、常連リスナーに「さっき〇〇ちゃんの配信でチャットしてたよね~」って冗談っぽく言っていた。彼女は本当に取り繕うのが下手で、リスナー弄りが得意なわけでもないのにそんなことをするから、ちょいちょい配信の空気がおかしくなっていた。それでいて熱烈なガチ恋勢には素っ気ないのだ。「他の子にも言ってるんでしょ」と、やはり冗談っぽく言うのだが、自己肯定感の低さは隠せていなかった。承認欲求に飢えているのに、いざ与えられた承認を真に受けられないようだった。自己矛盾でぐちゃぐちゃになっている様子に、僕は目が離せなかった。

11月の中旬頃、そんなリシテアに転機が訪れた。

別の企業勢の企画に、リシテアが参加することになった旨が告知された。

歌うまVの者が集った、お歌披露コラボだった。他の参加者について、僕はあまり詳しく知らなかったが、そこそこ名の通った歌うまVの者が揃ったコラボらしかった。

リシテアはその場で、Aimerの『Re:far』を歌った。

今、その音源を聞き返せないことが悔しくて仕方が無い。

リシテアはそのコラボで登録者数を5000人にまで伸ばした。

大躍進だった。

……だが、届かなかった。

2019年を迎えた。

リシテアの配信を思い返した。このままでは年を越せないかもしれないと言っていた彼女の言葉は杞憂だったのだと思って、僕は内心で胸を撫で下ろした。

1月4日まで、JPのメンバーは配信しなかった。

ツイッターのJP公式アカウントが、いつもと同じような調子でツイートした。

 

彼女たちが3月いっぱいでその活動を終えることを。

 

僕の、僕たちの応援は届かなかった。

それから、彼女たちの配信頻度は激減した。

終わりが決まった彼女たちの配信は、無理をして行われていることが痛いほど伝わってくる悲痛なものだった。

酒を飲みながら豪快に高笑いしていたヒマリアが、酔っ払って号泣した。こんな風に終わるなんて情けないと、彼女は泣きながら言った。

あんなにも華麗に壺おじをプレイしていたディアが、『壺おさめ』と題した配信を行い、2時間行った枠内で最後までクリア出来なかった。笑顔も見せず、その一言にもキレは無かった。一番メンタルが強いと思っていたディアでさえ、その内心は穏やかではないようだった。

レダは配信を行わなくなった。結局、最後のお別れ全員コラボまでその姿を見せなかったし、そのコラボでも殆ど言葉を発しなかった。僕の印象でしかないが、一番堪えているように見えた。メンバーの殆どの配信にチャットしていた彼女だから、一番ショックを受けて、それを受け入れられないのもまた、レダだったのではないかと思った。

 

そうして先日、彼女たちはVの世界から消えた。

その直前の出来事だった。

リシテアが、朝方の4時過ぎに、30分程度のゲリラ配信を行った。

彼女はその場で、その不安定でぐちゃぐちゃな内心を吐露した。

あのコラボでもっと自分が頑張れていたら、と。もっと積極的に、他のVの者たちと絡んでいれば、と。でも、それすらも後の祭りだったとも言った。そのコラボの直後に、JPがコンテンツとして終わることは決まっていたということ。彼女たちの頑張りは、プロデューサーやスポンサーを到底納得させられないものだったということ。趣味でやっているわけではないのだから、数字が大事なのはそうだ。かつてそれをゲリラ配信で吐露したことを、彼女は改めて詫びた。私は愚かだから、活動を続けられなくなって、ようやく数字じゃないことに気付けた、と。ロールプレイを蔑ろにしたことも、彼女は詫びた。私はバーチャルだから、リスナーの1人1人と顔を合わせてお礼を言うことは出来ないけど、でも本当に感謝してる、と。出来ることならそうしたかった、と、彼女は言った。最後に、彼女はあの時歌ったAimerの『Re:far』を、改めて歌った。

 

「元気でいてね」 返事はなくて 言葉はいつも 役にはたたない

さよなら あなた さよなら わたし

 

歌い終わると同時に、配信は終了した。

リシテアは、お別れ全員コラボでは、もっと形式張った挨拶を残した。

視聴者数70人前後の、アーカイブも残っていないゲリラ配信で伝えたからだろうと思った。その場には、リシテアを推していた古参リスナーの殆どが集まっていた。僕たちはそんな気配を察していた。彼女のことだから、またゲリラ配信をするのではないかと。事実その通りになったのだが、それを聴けて良かったと、諸手を挙げて喜んで良いのか、僕にはわからない。聴かなければ良かったと思う気持ちも嘘ではない。そんなにも強い感情をぶつけられて、無事なリスナーなど1人も居ない。事実僕はこうして打ちひしがれている。自分の無力さにほとほと嫌気を差しながら。

今、彼女たちのチャンネルはもう残っていない。

ツイッターのアカウントも残っていない。

Googleで検索したところで、彼女たちの情報は出てこない。

夢や幻の類いだったんじゃないかと疑ってしまうほど、呆気ない最後だ。

ガチ恋していたと、僕は言った。

でも、それが本当にそんな言葉で言い表せる状態だったのかどうか、彼女たちを見送って、その喪失感に包まれる今現在、僕にはちゃんと判別出来ない。

ただ、ありがとうと、言うべきなのだろう。

Vの者でなくなっても、頑張っていって欲しいと。

 

リシテアを、僕は忘れない。

僕が忘れない限り、彼女は今でも僕の中に生きている。

それが尚更つらいことだとわかっていても、僕の中に彼女を生かすことをやめられるとは思えない。

嘘だったと、思いたい。

まぁ、全部嘘だけどね。