Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

継続し始めた行動が強迫観念に成り代わる気持ちについて

読書、アニメ視聴、映画視聴において顕著に現れる自覚がある。

今日は本を買いに外に出た。僕は外に出るのが、いや、人間が密集している場所に行くのがあまり好きではないタチなのだが、電子書籍を積極的に利用し始めようと思い始めた(KindleやBookWalkerなどのサービスが、パソコンでの読書環境を整えやすくなっていたからだ)今でも、やはり紙の本が好きだ。物を所有する、特に本を所有する、購入するという行為が好きなのだろう。だが、物理書籍を買うためには外に出なければならない。書店の品揃えに文句を言いたくなければ、繁華街の大きな書店に足を伸ばすことになる。必然的に人間が密集している場所を通過することになり、ひとは何故こんなにも集まりたがるのだろうかということに寸刻思いを馳せ、それは好きな本を物色している最中にはすっかり忘れることになる。

今日は本を買うぞ、という目的を強く意識していたため、最終的に10冊も本を買ってしまった。ここ最近は積読本が減っているようなイメージもあり、前々から読みたかった本や直近での最優先の本、読もうと思っていたが忘れていた本などを買い足した。僕はここで気付いた。例えば、最新刊まで読み終えた『弱キャラ友崎くん』シリーズ。これは別に1巻発売当初から追っていたシリーズではなかった。4巻が出てから、一気に4巻まで買い揃えて読み終えたのだ。今この記事を書くまで5巻の序盤を読んでいたシリーズ『筺底のエルピス』も、長らく積んでいる本の中では新参に近い。ということは、その2シリーズとあともう1シリーズ(2巻まで出ているラノベだ。これは以降追う予定が無いシリーズであり、内容に関して触れるつもりも無いので割愛させていただくが、直近で買ったシリーズだ)合わせて今月に10冊近く読んでいるのだが、積読本の中でも最新参の連中を読み終えて積読を崩した気になり、同じくらいの冊数を買い足しに書店に向かったわけだ。この事実に気付いたとき、僕は戦慄した。具体的には今だ。別に、買った本を是が非でも読まなければならないという決まりは無い。お金を払って本を購入し、自分の所有物となった本を購入者がどう扱おうが、基本的には誰にも責められない。だが、読んだ本の価値は、読み終えた後に、読んだ本人が決めるものだ。であるならば、この部屋に何冊もある積読本は現状無価値の紙束の集合体であり、僕は日々、未だ無価値の紙束の集合体に埋もれた部屋で暮らしている、ということになる。そう考えるとほら、なんか不味いことしてるような気がしてきた。買った本は読もう!いや、本当に、読みましょう。僕が言えた義理では無いけども。話が逸れた。

まぁつまるところ、今の僕は割と読書熱が熱い(ヘンな日本語だが)状態にあるのだ。僕は読書量を管理出来るサービスを利用しているので、今月(2017年9月)内に9冊のラノベを読んだことが確認出来る。3日に1冊くらいは読んでいるペースだ。読書家だなぁ!というと見劣りするペースのように感じるが、そう悪くないペースだとは自認出来る。本当は積んでいる翻訳小説や文芸作品なども交えて読めれば良いのだが、シリーズものは一気に読んでしまうのが望ましい。というわけで、そう悪くないペースだと自認出来る速度で本を読んでいるわけだが、これがそろそろ強迫観念に成り代わる時期に突入することは経験則で理解出来ている。

アニメ視聴に熱が入っていた時期、僕は1日1クールのペースでアニメを観ていた。さすがに一週間ぶっ続けというわけでも無かったが、かなりのペースでアニメを観た。僕の眼球(眼球の周りの筋肉かもしれない)はかなりタフなのだが(真っ暗な部屋でケータイを弄る日々を年単位で続けても視力が落ちない)、そのタフな眼球が休養を求めるレベルでアニメを観続けた。最終的には半ば強迫観念に陥っていた自覚はある。映画に対しても同様のことを行った。それをしないと落ち着かない状態なのだ。これを強迫観念と呼ばずに何と呼ぶのだろう。まぁ別にやめられないわけではないのだが、やめると一気にそれに対する意欲が無くなってしまうため、そうなるのが恐いのだろうか。非常に両極端な自分のこの性質が、とても煩わしいものだとようやく自覚出来るようになってきたのがここ最近だ。

読書をするのも、アニメを観るのも、映画を観るのも、それを楽しむためにする行為だ。誰から課された義務でも無い。観たり読んだりすることを強要されているわけでもない。だが、自分がそれをしないことが許せなくなる。いや、正確にはそれをすることで無為な1日ではなかったのだと自覚したいのかもしれない。単調な日々をおくっている自覚は強くある。久々に再会した友人に、何も話すことが無いことはその都度実感する。なればこそ、そうではない状態で居たいのだろうか。個人の感想にその個人以外に対しての価値が無いことを自覚し始めたあたりで、「面白かった」「僕は好き」等、他人に話すほどの感想を練らなくなり、それもそういう場や他人に薦めたいときにしか言葉にしなくなった。ならば単調ではない日々だと思い込みたい意味は、対外的には存在しない。何が強迫観念の発端になっているのだろう。自分でもよくわからない。

何が言いたかったのかと言うと、この両極端な性質を強く実感して、コントロールしたいのだ。この場所に独り言を書き連ねるようになってからは、波はあるものの、肉体的疲労感に包まれてでもいないかぎり、それなりに無気力さからは脱却出来ている自覚が芽生え始めている。ラノベに限ってはいるが、読書もしている。アニメも多少は観ている。本を手に取る、配信サイトの再生ボタンを押す、という行為は、無気力な人間にとって、とてもハードルが高いワンアクションだ。それに対する抵抗が無くなっているのなら、それをしなければならないという自分に強いる意識をコントロールしたい。あまり共感を得られなさそうな記事になってしまったが、何に対しても、強く自分を律したいという気持ちはずっと抱き続けている。

自分を変えるためには、自分を自覚し続けなければならないと思っている。

創作は決してハードルが高いものではない。やりたければやる。やりたくないならやらない。あるのはそれだけだ。そのハードルが高くなってしまった今の自分に、そうではない事実を刷り込まなければならない。やりたいのに出来ない状態は苦しい。他者がカンフル剤になることは無い。そもそも、動機を外に置くのはとても危険なことだ。

自分を、自分が思い描く良い方向に向かわせてやりたいものだ。

それを自分に言い聞かせるための記事ばかり書いてもアレなので、たまには読むひとを楽しませる記事も書きたいと、思ってはいるのだが。

 

阿波連さんははかれない 1 (ジャンプコミックス)

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収まりが悪い記事になってしまったので、オススメのマンガを紹介してお茶を濁す

阿波連れいなさんを、水あさと先生を信じろ。

僕から言えることは以上だ。