Yellow Green Mechanical

八神きみどりが文章を書くブログです。主に読んだ本や、観たアニメや映画の感想を備忘録として綴ります。

2018 11/18(日)の気持ち

なんか昨日労働でむしゃくしゃすることがあって、それ以来そこそこ良くない気分を引き摺っていてなんか良くない。

ここ最近はそういうこともあんまり無くて、そういうストレスの感じ方ってあんまり無かったんだけど、まぁ人間が仕事をするのだから失敗が起こるときは普通に失敗するし、それを完全に無くすということも不可能だ。こういうこと書くと自己弁護のために言葉を労しているように見えるかもしれないが、人間には作業なり機転なりを完全再現する能力が備わっていないので仕方が無い問題だ。特に僕みたいに低スペックな人間がやる仕事なんかまぁ信用出来ない。だから基本的にはしょうがないものだとは思っていても、失敗をすれば普通にへこむし、それが自分が原因ではない理不尽なものであれば普通にイライラするしむしゃくしゃもする。そういう気分を払拭したくて周防パトラさんのアーカイブをめちゃくちゃ観たりしていたのだが、そのアーカイブなりリアルタイムの配信なり、観たそれが神回であれば神回であるだけ観終わった後に落ち着いて冷静になった時の反動も大きいもので、なんか気分転換も上手くいかねーなぁみたいな感じになっていたのでここに何かしらを書くことで改めて気分転換していこうという所存だ。

 

さて、そういえば9月の終わりくらいから意識的にここに何かしらを書くようになって、めっちゃ長文で自分の考えなり気持ちなりを書き記すようになって、別にそういう習慣って全然無かったし、そもそも僕はそういう長文を書くことにそこそこ苦手意識持っていたりしたよなぁ、というようなことを思い返しているのが今だ。

過去に一番ブログを書いていたときって高校生の時だったような気がしているし、当時は今みたいにツイッターアーが無かったような時代で、そういえばmixiなんか流行っていたよなぁって感じだったけど、僕はそういうのに苦手意識……というか、なんか怖いサービスだなぁとかやらず嫌いな性質なので思っていて、アカウントを作ったことも無かったんだけど、まぁブログは書いていた覚えがある。仲間内で読み合うような目的だったろうか。僕は闇の高校生活をおくっていたので休日に定期的に中学以来の友人を集めて遊ぶ~みたいなことをやっていて、まぁ闇の高校生活とはいえ最終的にはそこそこ上手くやれてはいたのだけど、その集会がかなり精神的な救いになっていたのは確かで、そこで毎回罰ゲームを賭けて何かしらの遊びをやっていて、その罰ゲームが大体ブログの記事を7日間連続更新~みたいな感じだった。僕も何度かやったのだが、そういう体験が、ブログってのは自分から書くものではなく罰ゲームなりそういう要請があって初めて書き始めるもの~みたいな印象に繋がっていて、だからこうして誰にも知らせることなく黙々とブログを書いている状況というのは当時の僕が見たら気絶して失禁するレベルのものなのかもしれないとか思った。失禁って気絶するって状況も含まれていましたっけ。まぁそんなことは良いんだけど、そう思ったということを随分前から書こう書こうと思っていて忘れていたので覚えている今書いた。割かし本当にどうでも良いことだったかもしれないが、まぁそんな感じだ(どんな感じだ)。

改めて思うとブログってのもこう、芸能人たちが生存報告のためにアメーバだかなんちゃらだかで書くものっていうイメージのものになってしまったような気がするね。特にここ十年くらい生活時間の余白も皆どんどん無くなっているように感じるし、取り留めの無い長文をわざわざ読みに行くひとというのもあんまり見ないような気がしている。僕の観測範囲内の話になってしまうけど。「日付の気持ち」以前にここに書いていた記事は大体書いたことを知らせて「みんな読んでね~」みたいな感じでやっていたけど、反応は芳しくなかったし、まぁそれは単純に僕のコンテンツぢからに由来するものかもしれないけど、別に読んだからといって収穫の無いようなもの、それもだらだらと右往左往してまとまりの無いものなら尚更かもしれないと思っている。ここにせよ別の場所にせよアクセス解析というのはページを開いた回数をチェックしているものでしかないので、その記事を開いたからといってその開いたひとが最後まで読んでくれているのかどうかもわからない。単純な読み物~と言ったところで、誰かが気になって買った小説なり気に入ってるウェブ小説なりコラムなり、そういうものに勝てるものをここに記せているつもりも無いし、別に勝とうと思ってるわけでも無いし読者という存在を極力廃して記していることは繰り返し繰り返し自分に言い聞かせるみたいに書いてはいるけれど、でもやっぱり読んで貰えたら嬉しいよなぁみたいな気持ちを抱いていることは偽れないし、それは排除出来ずに残ってしまっているものだよね、こういう風に。

なんか先日書いた、周防パトラさんのASMRに対する気持ちの記事について、頭の端っこあたりでずっともやもやと考えていた。

こう、コンテンツ提供者に対する要望とか願望みたいなものって結構気軽に書いてしまいがちな気がするんだよね。特に僕はその傾向が強いと自覚してはいるんだけど、なんだろう、後方プロデューサー面をしたいのかなぁみたいなことを思って自己嫌悪に陥るなどしていた。

僕は自分の感情を御せない愚か者なので、こう、誰に対してでも良いんだけど、不満なり願望なりを抱いてしまうと、どうしてもそれを吐き出さないと気が済まない傾向にあることは少なからず自覚している。それも大概タチが悪くて、吐き出した後に強烈な自己嫌悪に陥ることがめっちゃ多いんだけど、「なら言うな」ってのは100万回くらい言われてることなんだよな。でもこれは自分の感情の問題なので、吐き出さないと冷静になれない部分ってのもどうしても存在している。僕はつくづく人間に感情を扱わせるのは早すぎるって思っているんだけど、こういう自分の愚かさみたいなものと向き合う度にその思いを強くしている。

ここ数日どうも自覚出来ないレベルでメンタルの調子が良くないっぽくて、読んだ本も絶賛するには至らないみたいなものが多くて読書熱も冷めてきてしまってひたすらハニストのアーカイブなり配信を観て過ごしていたことは冒頭にも書いたけど、そのアーカイブを観ながら、リスナーの心理状態みたいなことに思いを馳せてしまったのだな。

 

基本的に、そもそもライバーとリスナーの関係性って継続性のあるものじゃないような気がしているんだな。チャット欄に毎回とかいることでライバーから把握されていたり、ツイッターなどで頻繁にリプを送ってきたりで認知されている少数のリスナーはいるかもしれないけど、基本的にめちゃくちゃな速度で流れているチャットから、誰が打ち込んでいるのかを喋りながら一瞬で読み取ることって、いくら配信慣れしているライバーとはいえ難しいと思うんだよな。メンバーシップとかスーパーチャットとか、リスナーが強く自己主張出来る方法が用意されているのは確かだけど、ライバーの目に入ってくるものは別にそれに限らないのも事実だ。何百人とか何千人とか聴いてる配信で、同じVの者や有名クリエーターは例外にしても、特定リスナーを優遇するようなムーヴというのもまぁあまり見ない光景だし、心掛けとしても良くないような気がしている。後でアーカイブを見返してライバーが把握するみたいなことはあるかもだけど、だから基本的に生配信の上では、ライバー対全リスナーという構図になっているはずだよな。

でも、ライバーが配信を続けていけばリスナーとの距離感は良い意味でも悪い意味でも近くなってくる。配信することに慣れてきている状態だな。OBSの操作とか段取りの把握などは要因としてもあるだろうけど、リスナーに対してどういう対応をすれば良いのかって要因がかなり大きな割合を占めるのは確かだと思うんだよな。でもそれって前述もしたけど、全リスナーという個の存在(矛盾している概念のように思うかもだが、そう矛盾してもいないのではないかと思っている)に対しての距離感なのよな。リスナーの人数は毎回違うし、チャット欄にいるリスナーも毎回違う。ライバーの持ち味によってリスナーもそれなりにふるいを掛けられるとは思っているのだけど、事実配信を重ねればチャット欄の雰囲気もどういう傾向にせよ落ち着いてくることが多いし(バズって急激に伸びを見せるライバーは違う傾向になる気もしているが)、だからライバー側もそれなりに砕けた雰囲気になってくると思っているのよな。時にはあまり見せない本心を語ったりもするかもしれない。それに対してずっと追っていたリスナーたちは今までと違った距離感の近さを感じてひとしおといったところだと思う。僕もそういう配信に居合わせた記憶はある。初見のリスナーやアーカイブで追う勢もこころが打たれるだろう。なんか本当に友だちになったみたい、とか思うかもしれない。

でもその予感は幻想だ。

全リスナーは個かもしれないが、1人1人のリスナーは個では無い。例えば僕が誰かしらVの者の配信を追い続けて、そういう気持ちを抱いたとしても、僕という存在が特別な存在としてライバーに認知されることはほぼほぼ有り得ない。配信の度に高額なスーパーチャットを投げているリスナーにせよ、それはライバーとリスナーという線引きの上で成り立っている関係に過ぎない。コンテンツ提供者と、コンテンツ享受者だからだ。別にリスナーはお客様ではないとは思っているんだけど、重なり合っている部分が少なからずあるとは思うんだよな。この辺はまだ明確に言語化出来ていないので怪しい部分もままあるが、まぁライバー側がリスナーたちにそういう関係性を築きたいと明らかにしていたところで、それはライバーのロールプレイの一貫や要素の一つとしての意味合いが強く表れてしまうと思うんだよな。そういった感じに収束しやすい環境を敢えて壊して特定リスナーと密に関わっている御曹司なんかはめちゃくちゃチャレンジャーだなという感じはするけど、それはまた別の話なので今は置いておく。

メアパト飲み配信の2次会でメアリさんが取り上げて「気持ち悪い」と素のリアクションをしてしまったマロの内容を聞いて、こんな感じの考察をしてしまった。それはかなり拗らせたガチ恋勢というような印象だったけど、その内面ではどういった要因が働きかけているのだろうと思わず考えてしまったのだ。後方彼氏面勢は比較するとマシな存在かもしれないけど、恐らく抱く感情のルーツは同じようにも思う。

もちろん、ライバーの配信に要望的なことを勝手に書く僕も同じだ。

気さくで気軽なスタイルのライバーって友だちとかその延長線上にいる存在と考えてしまいがちだよね。でも残念ながらその感覚って一方向的なものでしか無いんだよね。ライバーはコンテンツ提供者だけど、それはリスナーというコンテンツ享受者がいなければ成り立たないコンテンツを扱っているから、余計に自分の存在感みたいなものを示したくなってしまう構図になっている気もするよね。そうじゃなくても、「このVの者はこういう風に配信したら絶対に良いのにな~」みたいなことも思ってしまうし、公の場所で書いてしまいがちなんだよね。でもよく言うじゃん。消費者のアドバイスは大体数聞くに値しないって。消費者たちに寄り添って良いものが作られるということがままあるにしても、基本的に消費者の大多数はその場その場で思い付いた熟考されていない意見にも満たない感情をただ吐き出すだけの存在だし、その感情というのもポジティブな面を伸ばすというよりはネガティブなものが嫌だと表明するだけの生産性の無いものが大多数を占める傾向が強いような気もしている。

別にこんなインターネットの最果てにあるこんなブログがライバー本人なり関係者に把握されているとも思っていないし、把握されていたとしても貴重なご意見だと思われているだなんて自惚れは抱いていないつもりだけど、でも公開されたインターネットで、特定個人に対して何かしらを表明することにはもっと慎重になるべきだと思った、というような話だった。別に僕の記事がどこかしらに取り上げられて何かしら言われていたみたいなことは一切無いけど、そうなってしまう危険性は摘んでおきたいし、何より、好きなVの者に良くない気持ちを抱かせてしまうリスクもまた、非公開ブログならまだしも、公開ブログという場所に書くなら0.1%でも存在してしまうものだから、尚更慎重になるべきだなと思った。そうじゃないつもりで書いたものにしたって、書いた当人から離れてしまえば、その言葉がどのように受け取られるかなんてわからないもので、それが全面的な賛辞でなければ反応の分岐は受け手が持つ言葉の受容体に完全に委ねられる。それは前述したガチ恋マロが証明している事実だ。好意100%で書かれたラブレターのようなマロは、どう足掻いたところで、気持ち悪いのだ。

まぁ一度書公開しまったものなので公開したままにしておこうとは今のところ思っているが、十中八九取り下げるような気もしている。その記事に辿り着いたひとがこの懺悔記事に辿り着くとも思えないが、それを取り下げるならこの記事も取り下げることになるとも思う。わからんが。

好きなひとや尊敬しているひとには専属のアドバイザーは別にしても、誰の意見にも惑わされず伸び伸びと活躍してもらいたいと切に願っている。人間は生きているし、生きていれば思考は変遷するものだから、その好きなひとや尊敬しているひとが僕の好みや願いから外れてしまうことも往々にして起きることだとは思う。

でもその時は、僕は、それを悪意としては絶対に表明せず、その変遷について行くなり離れてしまうなりそのどちらにしても、応援するそもそもの気持ちを忘れないようにしたいと思った。誰かしらに影響を与えたくないと思っていたはずなのに、その初心を忘れてヘンな熱意に突き動かされて慣れないことをしてしまった今、余計にそう思うのだな……。

あとこれはどうでも良いことなんだけど、なんか自分がその場ではイイ!って思って書き連ねたことに対して後から考えて、別に誰がリアクションしているわけでもないのにうじうじ1記事書き上げてしまう精神構造も何とかしたいですね……本当に。