2020年6月22日(月)の気持ち
ドラクエ7が完全に嫌になってしまった……。
別にブログを更新したからって小説を書くという習慣が付くわけではないし、そもそも使ってる脳の領域が違うんだからそんなことは自明だろって気もするんだけど、こう、自分が思っていることをちゃんとした場所(ちゃんとした場所か?)に書き記す習慣を付けることでまた生活も違ったものになるんじゃないかという期待が少々あるのでブログを定期的に書いていくことにした。
どうせまた嫌になっちゃって途中で書かなくなっちゃうような気もするんだけど、そう決め付けていては成せるものも成せないのでとりあえずは続けていく意志をしっかりもってやっていこうと思っている。あと何にでも小説に対しての有用性みたいなものと結び付けて考えていくのも息が詰まってしまいそうなので(小説に関しては本当にとにかく考えるしかなくて、当然と言えば当然なのだけど、考えたからといって成果が約束されたものではない)、そういう副次的効果もあれば良いんじゃないかという感じのモチベーションでやっていく。やっていこう。
- ドラクエ7が完全に嫌になってしまった気持ち
ドラクエ7が完全に嫌になってしまったという気持ちを冒頭に書いたんだけど、本当に嫌になってしまったので聞いて(読んで)ほしい。
結局プロビナの町(黄金の女神像にまつわる話)をクリアしてラグラーズとマーディラスの城の世界まで進めたんだけど、この僕のやる気の低迷というか嫌になってしまった気持ちというか、そういうのはルーメンの話あたりから顕著になっていて、プロビナの話でそれを煽られて、転職システムのPS版からの改変というシステム上の問題によってトドメを刺された感じだった。
ルーメンの話というと、結構印象に残っているひともいるんじゃないかと思う。
イモムシの魔物のチビィの話だ。
チビィは村人のオッサンに拾われて育てられるんだけど、他の村人たちに気味悪がられて(町の中で公然と魔物を飼ってるオッサンがいれば誰でも気味悪がると思うし排斥を試みると思う)、それを理由に半ば追い出されるように捨てられるわけだが、どう見てもチビィの同類のイモムシたちが村を襲ってきて、その危機を自らを犠牲にして救うのがチビィなワケだ。ちゃんとルーメンを救った現代に帰ってくると英雄として奉られてるのもちょっとプレイヤー的にはしんみりしてしまうポイントだよね。そういう感じで覚えているひとも多いんじゃないかと思うんだけど、まぁそれは良い。
ルーメン、結局都合三回、過去に飛んで問題を解決するわけだけど、こんな運命を背負ってる村に付き合わされるこっちの身にもなってほしいんだわ、と思ってしまった。
闇のドラゴンが村を滅ぼして、闇のドラゴンのちからで暗闇に閉ざされていた影響下で息を潜めていたヘルバオムが村を滅ぼして、恐らく結果的にヘルバオムが抑制していた魔物が解き放たれて村を滅ぼして、みたいな魔物同士の影響力とそれによる問題の複雑化は大いに結構なんだけど、やることが結局全部同じなので、現代に戻って滅んでるルーメンの村を見て何度となく「いい加減にしろ」と思ってしまった。
過去に飛ぶのも呪文一つで出来るわけじゃないから、都度なぞの神殿に行って石版選んで2~3回雑魚敵とエンカウントする道程を歩いて村に着いて問題を確認して、ダンジョンに行くなり村に沢山いるシンボルエンカウントの雑魚敵と戦って~みたいな過程を強要されるわけだけど、その都度それらを小分けにされるからただただ面倒で本当に嫌になってしまった。
ドラクエ7、プレイヤーの報酬系に訴えかけるデザインを完全に取り違えてると思う。
結局このゲームが常態的に行うご褒美のシステムって、先にチラつかせてから取り上げる方式に終始しているんだよね。前回の記事でダーマの神殿にまつわる話と魔法のじゅうたんの話でも散々文句言ったんだけど、別にそれだけに限らなくて、ルーメンの話でも結局はそういうデザインになっていると僕は思う。
滅んだ村を救いました→実は救えていませんでした→じゃあ新しい問題を解決します→やっぱり救えていませんでしたー!っていうやつ。村を救うためには問題を解決しなきゃいけないし、それは別に他の地方の話でもそうなんだけど、「ただ問題解決のルーチンを繰り返すだけじゃあ刺激が無いよね」って感じなのかなんなのかは知らんが、それは別にシナリオにバリエーションを持たせるわけじゃなくて、過程に煩雑さを増やすことでそれをボリューム感としている感じがしてすごく心象が悪い。
それでルーメンの村に関しては滅んだままエンドも用意されているんだからもう何もわからん。主人公の選択が世界の命運を分けると言いたいのだろうが、じゃあ今まで救ってきた世界はどうして進めるだけで救えてルーメンだけはそのルートに乗っていないのか理由がわからん。じゃあオルゴ・デミーラに改めて滅ぼされるエンドも用意してくれ。シナリオの一本道化に意義を唱えたかったのなら最初から徹底してくれ。いきなり思い付いたみたいにやらないでくれ。それは別にバリエーションを増やしているわけじゃなくてシナリオの軸がぶれているだけだから勘違いしないでくれ……というようなことを強く思った。
そんなこんな思いながらルーメンをクリアしてプロビナに行って、……またこのプロビナの村の話も大概胸クソが悪くて、それは別に話自体が胸クソ悪いわけじゃなくてラズエルくんっていう村長の息子が大概自分勝手に行動してお話を混乱のどん底に突き落とすから本当に胸クソが悪かったわけだけど、登場人物のIQを下げることでシナリオに起伏を付けるのは本当に悪手だと思うので今すぐやめろ。20年前のゲームでも今すぐやめろ。「黄金の女神像があるからいけないんだ!」って女神像を破壊したときにはクソデカ溜息を止めることが出来なかった。こんな村が滅びずにのうのうと主人公たちに救われて、ルーメンだけが滅びる可能性を用意されていることの意味が今でも理解出来ない。いや別にルーメンは滅んでも良い。ただその正当性を僕に示してくれ。
村の上の教会と村と橋を何度も往復させられるのもただただ苦痛だった。これはハーメリアの現代での石版入手のおつかいの時に強烈に思ったんだけど、行って帰ってきた場所にもう一度行かせるのを本当にやめろ。塔にいるギガミュータントを倒してこいって言うから倒してきたら報酬も渡さず塔に向かうから追い掛けていったら「あぁ忘れてた」とか言ってその場で渡すわけじゃなくて町の宝物庫(入り組んだ場所にある)にあるのでご自由にどうぞ!とか言い出すオッサンを「ブッ転がしてやろうか」と思わないプレイヤーが果たしているだろうか。これで完全にキレちまったのでルーメン以降の煩雑さに我慢がならなかったわけだ。
そういう煩雑さは、まぁしょうがない部分もあるのかもしれないとは思う。ゲームには容量の限界があるのだし、マップや登場人物は無限に増やせるわけじゃないし、無限に増やせば良いものが出来るわけじゃないから、用意したリソースの中でやりくりしないといけないのはそうだと思う。
でも上級職で覚えた技が転職すると完全に使えなくなるというのは僕の堪忍袋の緒をへし切ってくれたし、もうこんなゲームはやってられないという思いを確かなものにした。
あれかな?賢者になったキャラクターが戦士に転職した格好でイオナズンとかメラゾーマとか唱えてるとビジュアル的におかしいみたいなそういう思惑があったのかな?あとはモンスター職の重要性とか?どうでも良いけど、だったらレベルアップで呪文とか特技とか覚えてくれる方が嬉しいな。職業を変えるだけ余計な呪文や特技だけが嵩張っていくし、上級職にしても転職したら旨みがゼロなのに勇者になるにはその無駄な作業を3回もやらなきゃいけないみたいなのも煩雑なだけで無意味だしね(全員でギガデインだけ撃って全てのモンスターを倒せるなら意味はあるのかもしれない)。
ドラクエ7、当時はめちゃくちゃ楽しく遊んでいた記憶が強く残っているんだけど、アホガキだから遊べたゲームだったんじゃないかと今なら思う。シナリオなんかそっちのけで、ただただ主人公たちを強くして職業や装備ややり込みシステムだけに没頭できるくらい頭が空っぽじゃないと遊べないゲームなんじゃないかと今は思っている。
過去の記憶を大事にしたいなら、余計な発掘作業なんかやらない方がいいのかもしれない。
結論:過去の自分の感想なんか何もアテにならない。
- ダークソウルリマスター版を遊んでる気持ち
そんなこんなでドラクエ式RPGが完全に嫌になってしまったので何かアクションゲームを遊びたいと思い、僕はSwitchライトしかゲーム機を持っていないので必然的にその中のラインナップから選ぶしかなく、バイオのリマスター版をやるかスカイリムをやるかフォートナイトをやるかダークソウルリマスター版をやるか悩んだ結果、友人の薦めもあってダークソウルリマスター版を買った。
ドラクエ7の煩雑さが嫌になったのに、どうしてそんな選択を……、という気持ちに包まれているのが今だ。
今は鐘のガーゴイルで詰んでいるので、来月だか再来月だかに来る4500円くらいの請求が怖くて仕方が無い。ダークソウル……楽しいは楽しいんだけど、当然と言えば当然、まぁわかっていて買ったのはそうなんだけど、スカッとするゲームじゃないので本当にげんなりしている。あとSwitchライトのボタン配置が致命的に悪い。そりゃそうだ。そもそも任天堂ハードで遊ぶためのボタン配置じゃなかったんだから……。
ニンテンドーオンラインチケットでベヨネッタとかアストラルチェインとか買って遊んだ方が良かったのかもしれない。
まぁ、遊べるだけ遊ぼうとは思っている。鐘のガーゴイルは序盤の難関らしいので、越えたら達成感もあるだろうし行ける場所も増えて楽しくなるんだろう。知らんけど。
そんなこんなで、ドMみたいなゲーム体験に翻弄されているという記事だった。
楽しいことを書きたいんだけど、楽しくないことの方が多いのが人生なのだから難しいよね。気を付けたいとは思うんだけど。